「自己評価の低さ」の要因と解決をその本人に求める酷さ - suVeneのアレ

「自己評価の低さ」の要因と解決をその本人に求める酷さ

20150517 kuraikousaten

「コミュニケーション能力」というのは、人によって前提や条件がかなり違うのに、何故だかみんなが共有している事実や単語であると思われている言葉のひとつである。

それはさておき、以下の記事で『「コミュ力」とは何か』『「コミュ力」が低い人はどういう人か』という仮説が書かれていた。

どういう経緯でその仮説に至っているのか、また、その仮説はどのように検証はされているのか、などはよくわからないが、最後の方でまとめられている「コミュ力を高めるために必要な方法」が、かなり強引かつ精神論すぎて、全く賛同できるものではなかった。

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「「コミュ力」の正体 – べにぢょの日記」における「コミュ力」の正体と、「コミュ力」が高い人、低い人

「コミュ力」とは、「サービス精神」だと思っている。

会話が上手とか、空気が読めるとか、内訳はいろいろあるけれど、結局は目の前の相手や周囲の人間に対して、どれだけ奉仕できるかという「奉仕力」だと思う。

「コミュ力」の正体 – べにぢょの日記 「コミュ力」の正体 - べにぢょの日記

引用記事における「コミュ力」は、(その基準の妥当性はともかく)相当ハイコンテキストで抽象度の高いところまでの役割を与えられている。

そして、この基準によって「コミュ力が高い人」は、(理由はどうであれ)「奉仕出来る人」だと定義される。

さらに、「コミュ力が低い人」は、「奉仕出来るはずがないと思い込んでる人」ではないか、という仮説である。(要因は「自己評価の低さ」)

引用した記事を、簡単に纏めるとこういうことである。

ここまでの内容に関しての妥当性を検証するつもりはない。あくまで冒頭に述べたように、これらを前提とした時の、「コミュ力の低い人」に対するアドバイス?の強引さについて疑問があるということだ。

「あなたが変わればすべてが変わる」

引用した記事の伝えたかったことを解釈すると、「あなたが変わればすべてが変わる」と言いたいのだと思った。タイトルは『「コミュ力」の正体』だが、そこはメインではなく、以下の部分が記事の主張したいところなのだろう。

コミュ力を高めるのに必要なのは、ハウツー本でも訓練でもない。
自由になろう。不自由に生きる理由はない。周りにはない。自分の中にあるだけ。

他人はあんがい優しいし、自分はいがいと受け入れられる。

みんな、やればできる子!

「コミュ力」の正体 – べにぢょの日記 「コミュ力」の正体 - べにぢょの日記

著者が自分の「コミュ力」の能力をどのように判断しているのかは分からない。

ただ、「コミュ力の低さ」の要因として「自己評価の低さ」をあげているのに、その「自己評価の低い人」に向けて「不自由に生きてるのは自己責任。行動すればいがいと受け入れられるし、やれば出来るのでやってみれば(意訳)」と言うのは、どれほど意味があって、どれほどの励みになるのだろうか。

(まぁこう思うのは俺だからで、「lovecall さんが言うなら頑張ってやってみよう!そうすればみんなに受け入れられるかも!」なんて思う人が多数なのかもしれないが)

そもそも、この意見には「何故自己評価が低いのか」という経緯が全く考慮されていないように感じる。個人的に想像する「自己評価が低い」理由は、過去から連綿と続く背景や負のフィードバックの積み重ねがあると考える。

つまり、今まで行動や発言しても、周りから受け入れられてこなかった(正のフィードバックがなかった)から自己評価が低いのであり、今まで「頑張ってやってきた」けど、「他人の優しさに出会えなかった」人が自己評価を落としてしまったのであり、その結果この記事のいう「奉仕する力」を失った、と推測する。

そういう自己評価の低さに関して、自己評価を妥当性があると判断できるレベルまで引き上げるには、周りが地道に正当なフィードバックを与え続ける必要がある。

しかし、そうではなく

『不自由に生きる理由はない。周りにはない。自分の中にあるだけ』

という、「個人の受け取り方、考え方」に対して原因・責任の比重を高くするのは、あまりにも強引ではなかろうか、と考えたのが個人的な意見だ。

(あとがき的な)本記事は引用記事の著者の人格を否定するものではない

引用の記事の著者である lovecall さんとは、ネット上とはいえども、割と古いと言える付き合いがある。

本記事をもって、lovecall さんはひどいやつだと主張したいわけではないので、ここまで読んでくれた人がいたら誤解しないでいただきたい。

きっと彼女は、「みんな結構やさしいよ、心配しなくてもだいじょうぶだよ、君はそんなにできない子じゃないよ、コミュ力が高い人もいろいろあるよ」と、「コミュ力が低く」て悩んでる人に向けて優しく声をかけたいというか、暖かい思いから書いた記事なのだと推測している。

きっとそうだ。

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