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2007 年 8 月 31 日 のアーカイブ

他人を誉める時に感じる葛藤について

2007 年 8 月 31 日

自分語りは好きではないといった記憶はあるのだが、どうも語りたくなったというか書きたくなったので書き留めておこう。(いや、時折書いてはいるけども)

私は誉める事が苦手である。
いや、正確には苦手なタイプがいる。

何故苦手なのか。

まず理由として考えられるのは、人を尊敬することで自分の劣等感を燻られるから、などということも考えられる。確かにそれもあるのだろう。しかし、全く自分に技能が無いことで、あまり興味がない事に対して、圧倒的な才能を見せ付けられた時でさえ誉めるのを躊躇うときがある。

実は理由はさほど難しくない。

それは、誉めた後の相手の言葉と感情が容易に推測できる時であり、またそういうタイプに向かっていう時である。
誉めた後無邪気に喜び、誉めたことに対して感謝の意を表し、誉められた事で好意にも似た親近感を抱かれる事が想像できることである。その相手があまり親しくなければ親しくないほど嫌になる。

相手が喜ぶのを妬んでいるのかだろうか。いや、それは違う。
「相手から誉められる好意を持たれることを期待する自分の厭らしさ」を意識させられてしまうことが嫌なのだ。もしくはそう思われる事を厭うているのかもしれない。

勿論、誉める目的はそんなところにはないし、素直に関心感心することもある。
(と、思い込んでいるだけかも?という考えに巡るわけだが)

しかし、周りは絶賛の嵐だったりすれば、尚のこと一歩引いた視点になってしまうのだ。

追記1 2007/08/31 10:20

訂正:
「相手から誉められることを期待する……

「相手から好意を持たれることを期待する……

補足:
誉めた後無邪気に喜び、誉めたことに対して感謝の意を表し、誉められた事で好意にも似た親近感を抱かれる事

(私が)誉めた後(相手が)無邪気に喜び、(私が)誉めたことに対して(相手が私に)感謝の意を表し、(相手が)誉められた事で(私に)好意にも似た親近感を抱く事



日記・散文・その他

[AutoPagerize]アルファブックマーカーの注目するエントリー用のSITEINFO

2007 年 8 月 15 日

アルファブックマーカーの注目するエントリー用のSITEINFO

var SITEINFO = [
{
url:          'http://ab.wryy.net/',
nextLink:     '(//ul[@class="pagination"]/li/a)[last()]',
insertBefore: '//ul[@class="pagination"]',
pageElement:  '//div[@class="section entries"]',
},
]

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関連リンク

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Web・Net関連

表現の境界について

2007 年 8 月 5 日

これは、とある人の発言を元に考えたことなのだが、許可をとっていないのでキッカケとなった発言のみ要約して載せてみる。
(といっても短い発言なので、ほぼそままなのだが)

mixi日記ですら書くスタンスつかめないのに、はてなコミュでいったい何を話せばいいのか

俺はこの発言をみて、「誰に対する体裁を保とうとしているのか?」ということが気になった。
そして、その旨を伝えると以下のような返答があった。

第三者への体面じゃなくって、自分で何をどこまで書こうかなぁ、ってわかんなくなるだけです。

実はいうと、いまだにこの意味がよくわからない。
第三者を意識せずに自分自身のスタンスを考えるとは、一体どういう事なのだろう。

そして、こうも聞かれた。

suVene氏は書く際に明確な境界線があるのですか?

俺はたぶんだが、ある。
それは、文章だけでなく話す内容や態度などにおいても、他人に対する表現という意味では、ほぼ同じ境界がある気がする。

かといって、流石に「自分か他人か」といった分け方ではない。
例えばこれは自分の中では自明なのだが、仲のよい友人や身内の人間と、それ以外の人とでは、ハッキリと境界は異なる。
しかしお粗末なのだが、割とハッキリしているのはその程度で、その他の人に対する表現のスタンスなどは、自分の中では境界はかなり画一的と呼んでもよいのかもしれない。
(周りから見ると、その限りではないのかもしれないが)

この違いは一体どこからくるのだろうか。

そんなことを考えたりしていたのだが、ふと「他人に対する距離感のとりかたの違い、または種類の違い」にあるのかもしれないと思った。
(遠い近い、多い少い、とか。勿論、 利害関係やメリット・デメリットなども)

振り替えれば、引用元の人は
『第三者への体面ではなく、自分で何をどこまで』
と言っていたが、やはり第三者の目や体裁を意識しなくては、自分の中の相対的なスタンスを考える必然性がない気がする。(当然、俺の主観)
そして、極論だが「自分 – 友人 – 他人」といったような単純な考えかたではなく、もっと細かな分類があったりして、そのことにより、その分類(コミュニティなど)に対するスタンスといったものがより複雑化するのではないだろうか。

と、ここまで書いてみたが、適当な推論を述べるだけで、とくに結論はない。

ただ、「他人との距離感(またはスタンス)」というものを、(ここを読んでいる)皆はどのように感じ、どのように考えて周りと接しているのかなぁと、気になった次第である。



思想・心理・議論・対話