表現の境界について - suVeneのアレ

表現の境界について

これは、とある人の発言を元に考えたことなのだが、許可をとっていないのでキッカケとなった発言のみ要約して載せてみる。
(といっても短い発言なので、ほぼそままなのだが)

mixi日記ですら書くスタンスつかめないのに、はてなコミュでいったい何を話せばいいのか

俺はこの発言をみて、「誰に対する体裁を保とうとしているのか?」ということが気になった。
そして、その旨を伝えると以下のような返答があった。

第三者への体面じゃなくって、自分で何をどこまで書こうかなぁ、ってわかんなくなるだけです。

実はいうと、いまだにこの意味がよくわからない。
第三者を意識せずに自分自身のスタンスを考えるとは、一体どういう事なのだろう。

そして、こうも聞かれた。

suVene氏は書く際に明確な境界線があるのですか?

俺はたぶんだが、ある。
それは、文章だけでなく話す内容や態度などにおいても、他人に対する表現という意味では、ほぼ同じ境界がある気がする。

かといって、流石に「自分か他人か」といった分け方ではない。
例えばこれは自分の中では自明なのだが、仲のよい友人や身内の人間と、それ以外の人とでは、ハッキリと境界は異なる。
しかしお粗末なのだが、割とハッキリしているのはその程度で、その他の人に対する表現のスタンスなどは、自分の中では境界はかなり画一的と呼んでもよいのかもしれない。
(周りから見ると、その限りではないのかもしれないが)

この違いは一体どこからくるのだろうか。

そんなことを考えたりしていたのだが、ふと「他人に対する距離感のとりかたの違い、または種類の違い」にあるのかもしれないと思った。
(遠い近い、多い少い、とか。勿論、 利害関係やメリット・デメリットなども)

振り替えれば、引用元の人は
『第三者への体面ではなく、自分で何をどこまで』
と言っていたが、やはり第三者の目や体裁を意識しなくては、自分の中の相対的なスタンスを考える必然性がない気がする。(当然、俺の主観)
そして、極論だが「自分 – 友人 – 他人」といったような単純な考えかたではなく、もっと細かな分類があったりして、そのことにより、その分類(コミュニティなど)に対するスタンスといったものがより複雑化するのではないだろうか。

と、ここまで書いてみたが、適当な推論を述べるだけで、とくに結論はない。

ただ、「他人との距離感(またはスタンス)」というものを、(ここを読んでいる)皆はどのように感じ、どのように考えて周りと接しているのかなぁと、気になった次第である。

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コメント

  1. suVene? より:

    コメントの意味がわからんちん

    誤読と呼ぶのか、俺の書き方が悪いのかはどちらでもよいのだが、何をどう読んだらそうなるのかよく分からないコメントを貰った。 何の話かっつーと、「suVeneのあれ: 表現の境界について」というエントリを書いたのだが、それについての d:id:feather_angel さんのコメント

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