アーカイブ

‘ソーシャルブックマーク’ タグのついている投稿

SBM上におけるネガティブコメントについて

2007 年 12 月 11 日


すちゃらかな日常 松岡美樹 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 はてなブックマーク数

こちらのエントリで、ネガティブコメントの具体例として、俺のコメントが引用されていた。
(「私は書かないコメント」と峻別して書かれている可能性もあるが)
引用された部分は

【モデルケース1】
 以下は、私のアスキー連載『信頼できる「場の空気」はいかにして生まれたか? 「発言小町」に見る読売新聞社のCGM観(後編)』にいただいたsuVeneさんのブクマ・コメントである。

「んで、いかにして生まれたんだ」

すちゃらかな日常 松岡美樹 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 はてなブックマーク数

の強調の部分なのだが、これがネガティブだかそうでないかは置いておくとして、松岡さん(引用元の人)の定義するネガティブコメントというのはどのようなものなのか見てみよう。(といっても、id:ekken さんの定義にたどり着くのだが)

僕は以前、「管理人が不快感を覚える可能性のあるコメント」のことをネガティブコメントとし、それを大きく4つに分類しました。(参考:ネガティブコメントのガイドライン)

1. 事実確認(便宜上「第一種ネガティブコメント」とする)
2. 異論・反論・批判 (便宜上「第二種ネガティブコメント」とする)
3. 誹謗・中傷・侮辱(便宜上「第三種ネガティブコメント」とする)
4. コピペ(荒らし)(便宜上「第四種ネガティブコメント」とする)

何か意見を述べるブログにおいては、上の二つは「避けてはいけないコメント」だと思うのですね。

ekken: 小倉弁護士は「ネガティブコメント対策」への理想が高すぎるのではないかと はてなブックマーク数

なるほど。確かに、この定義なら、全てのコメントはネガティブコメントになってしまう可能性があるだろう。確認、異論、反論、それに加えて俺のは「疑問」なのだが、同じような意味だ。
「異論」という意味では、引用もとのエントリでさえ、ネガティブエントリと解釈しうる。


で、一旦ネガコメの話と松岡さんのスタンスは置いておくとして、(はてブにも書いたのだが)引用元のエントリに疑問を持った点がある。

もちろん「自分は書きたいブクマ・コメントを書く。反論があるなら、相手は自分のブログで異議申し立てすればいいじゃないか」てな議論はあるだろう。だがツッコミが書かれたその同じ場(SBM上)で、かつ双方向のやり取りができるのでなければ、エキサイティングな議論にはならないと私は考える。

すちゃらかな日常 松岡美樹 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 はてなブックマーク数

確かに、はてブ上での議論というか、意見交換をしにくいのは同意する。そもそも、俺のコメントも言及する為のものでなく、読んだあとの感想としての疑問を書いているわけだが、その辺の「書き手の意図と読み手の解釈の違い」によって、「ネガティブコメント」と判断されるのだろう。

そして、いま一つ分からなかったのは、「「同じ場」(この場合SBM上)でないと、盛り上がらない」という前提だ。この辺はもう少し補足を読んでみたいところである。
(「ほかの場所でもいいじゃないか!」という意味じゃなく、「何故だろう?」という意味で)


最後に、引用元のエントリのブクマコメントでおもしろかった意見がある。(俺にはない解釈という意味で)

2007年12月11日 yousanotu 世の中には直接ブログにコメントをかけず、”陰口コメント”しか叩けないアホが多いからな。こういう提言は貴重。俺も散々やられたけど、陰口しか叩けない奴って悲しいよね

はてなブックマーク – すちゃらかな日常 松岡美樹 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由

何が俺にはない解釈かというと、ブクマコメントを「陰口コメント」と解釈するということだ。
俺の感覚だと、permalink があり、なおかつ public な状態であるブックマークサービスは、なんら「陰口」ではない。仄めかした感じで、当てつけとも読めるようなコメントとかならば、別かもしれないが。
(というかそもそも、悪口を言ってるつもりなどないわけだが)
それに付け加え、同じブックマークサービスを使って自分自身が(本人の言う)「陰口コメント」らしきものを書くというのは、いささか不思議である。何か俺には分からない明確な区切りがあるのかもしれない。


まぁ、ごちゃごちゃ書いてきたが、この辺の問題だって俺が最初に
「んで、いかにして生まれたんだ」
でなく
「結局、いかにして空気が生まれてきたのか読み取ることが難しかった。○○あたりの部分がポイントかな。」
とでも書いておけば、「ネガティブコメント」とは解釈されなかった可能性もある。

俺が言うのもなんだが、選択する言葉・単語・語尾などによって、相手が読み取る解釈というのは、同じことを言っていても大幅に揺れるものなのだ。




思想・心理・議論・対話

ソーシャルブックマークコメントの宛先について

2006 年 10 月 31 日


最近、ブクマするときにコメントを残す事が多いのだが、ふと、そのコメントは誰に宛てたものかというのが気になったので考えてみる。
段階的に考えてみよう。

初期
まず、俺がはてなのSBMを使い始めた当初は、ブラウザのブックマーク(本来のブックマークと呼んでおく)で活用しているサイトをオンラインに移す事が最初だったのでほぼコメントはない。たまにブログの記事をブクマする事があったが、その目的は面白いと感じたものを覚書として「内容を要約したコメント」が多かった。(~~について。とか、~~がおもしろい。とか)
感覚的には「本来のブックマーク:ブログ記事 = 8:2」くらいの割合だったか。

中期
いつ頃からかは特定できないが、静的サイトの本来のブックマークはさほど増えるはずも無く、ブログなどは RSSアグリゲータを使用していたので、「面白い」と思うものをブックマークする割合が高くなり、そのうち逆転していた。(あまり関係ないが、「本来のお気に入り」は特定のタグをつけて、RSSで抽出しライブブックマークでとして使っているので、端末が変わっても同じお気に入りが見れて便利だ)
そのうちコメントは要約というより、読んだ感想や解釈を書き記す事が多くなってきた気がする。ただし、その宛先は著者向けというより、「独り言」に近い感覚がほとんどだったように思う。

現在
んで今に至る訳だが、今はどうだろう?たぶん、中期とそれほど変わらない。
俺のコメントは独り言に近く、その著者に読んでもらおうとか、呼びかけようという意識は少ない。(どうしても呼びかけたければコメントするかトラックバックするし)
ただ、ハテナサービスに「知り合い」と呼べる人物はほとんどいないが、はてブを継続して利用するにつれ、「顔見知り」と呼べる程度の知り合いは数人できたような気がするのと(気のせいかもしれんが)、被Favが増えてたりするので、俺の「ブックマークコメントと記事の内容」を照らしあわせて見られているという「意識」はしている。
まぁ、だからといって相変わらず俺のコメントは独り言だし、気をつかって言いたい事を言わないって事はあまりないのだが。

結論
結論は「独り言の感想・解釈・思いつき」が近いか。なので、誰向けってのは、ほぼ自分向けだな。
こんな結論は、整理するまでも無く自分の中では分かっていたことなのだが。


何でこれを書いたかというと、ブクマコメントに反応する人を立て続けに見たという経験からだ。
別にブクマコメントに反応するのが悪いという話ではなく、その記事を見た事がキッカケで(記事と関係ない)思いついたことや考えた事までも書いてるので、反応されたときに「おおぅ!」とビックリするような感じだ。
かくいう俺も、自分の書いた記事が意図した通り読まれてなかったり、誤解されているなという風に感じたときは反応を返すが、その反応を返された人も俺と同じように、ビックリしてるのかもしれないなと思ったッつー話。

主語述語目的語などをきちんと明確に記述すれば、その記事に対する誤読・誤解ではない事を伝えられるのだが、100字という制限と、元々俺が言葉をきちんと使う能力がアレだから「誤解されたと思わせる誤解」を生んだりするんだなぁと。

まぁ、反応がうっとうしい訳でもないし、寧ろ意見交換するキッカケになったりするので、問題視している訳ではないのだが。



Web・Net関連

ソーシャルブックマークサービスといじめ

2006 年 10 月 16 日


無断リンクにまつわる何だかなぁって話って記事で、感じたことをそのまま文章化して、「いじめ」という単語を出してしまった訳だが、似たような感触を感じていた人もある程度いたようで、自分自身も考えるキッカケになった訳だし、それはそれでよかったのかもしれない。
今の知識が浅はかなままこれ以上「いじめ」について語るのは自分の首を絞めるようなものだが、ツッコミ待ちという意味と今後も考えたい問題だという事でもう少し書いておこうと思う。

結論から言えば、ソーシャルブックマークサービス(今回ははてブ)と、誰か一人或いは少数(今回は tinycafe氏)の構図は「いじめ」とは呼ばないと判断している。

根拠を述べる前に「いじめ」とは何かを考えなければならないだろう。

* いじめとは何か
前回の件が「いじめ」に似ていると感じた構図だが、一体それは何故なのか。
何を持って「いじめ」とするのか。
文部科学省の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」による定義を引用してみよう。

「1 自分より弱いものに対して一方的に、2 身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、3 相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」
文部省初等中等教育局中学校課「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」平成6年12月

他にもよく見かけたのが以下の著書の引用。

同一集団内の相互作用過程において優位にたつ一方が、意識的に、あるいは集合的に、他方に対して精神的・身体的苦痛をあたえること」
(森田洋司・清水賢二「新訂版いじめ」金子書房、1994年による定義)

他のいじめに携わる人々の著書や論文を読んだ訳ではないので浅学な引用で申し訳ないが、この定義には重要な一つの概念が含まれていると思われる。

それは「同一集団内」という概念である。
(文部科学省の定義については、「学級」を前提とされている)

定義をまとめてもしょうがないが、自分なりに重要だと思ったポイントをあげると

  1. 同一集団内であること
  2. 強者から弱者へ一方的であること
  3. 継続的であること
  4. 相手が身体的、または心理的苦痛を感じていること
が、「いじめ」の定義だと解釈している。

* 同一集団という定義の重要性
まず、ここが今回のポイントで、俺自身が「いじめに似ている」と思った点であり、また最終的に「いじめとは呼ばない」と考えた所だ。
単純に「多数に見える側から少数に見える側へ」嘲笑したりからかったりする事が「いじめ」に似ていると思ったのだが、それだと上記の条件のうち一部しか満たされない。
例え少数派が心理的苦痛があると訴え、それが認められたとしてもだ。
一般的に定義される「いじめ」とは、「同一集団内」で「継続的に」攻撃が行われる事を言う。
何故同一集団内でなければ成立しないかといえば、それは「同一の目的」や「目標(義務)」があるので簡単に抜け出せないという状況になりやすく、閉鎖的空間において逃げ場のない状態において発生する現象だからだろう。
そのような閉鎖的状況において、強者・傍観者・共犯者による、弱者への攻撃を「いじめ」と呼ぶ訳で、トートロジーになってしまうが。
例えば道を歩いていて、一方的に集団に襲われて身体的苦痛を負わされても、それは「傷害事件」や「恐喝事件」であり「いじめ」とは呼ばないという事でもある。


* 同一集団とは何か
「同一集団」とは何を指すのだろうか。
具体的に思い浮かぶのはまず「学校」だろう。いじめの事例や、事件としてよく耳にするのは「刑務所」もある。
他にも「家庭」「職場」「老人ホーム」「地域」などが思い浮かぶ。

いずれにせよ共通するのは、「そのコミュニティに帰属する事を義務」付けられていたり、「金銭的・身体的理由でそのコミュニティに帰属せざるを得ない」という事だ。

故に、同一集団とは「同一の目的(目標)を共有して集った仲間意識のある集り」であると考えている。
(同一の目的のない集りは「集団」とは呼ばない。仲間意識は(仲のよい)という意味ではない。)

* ブックマーカーは同一集団か
「ソーシャルブックマークという一つのサービスを利用しているユーザー」という括りで見てしまうと、同一集団に見えてしまうのだが、そのような括りでは先ほどの「同一集団」の定義から見るとあてはまらない。そもそも、ブックマーカー全体に「同一の目的や目標」などは存在しない。おまけに、炎上元の対象の人もブックマーカーへの帰属意識もない。

個別にブックマーカー同士のリアルなつながりや悪意を検証できたとするならば、一部「同一集団」と呼べる単位はあるかもしれないが、それはココでも言われているように、検証するのは困難である。

ネットイナゴ問題の難しさは、普通に見ればそれは確かに「イジメ」っぽいのだけれど、「あくまで個人で書き込みしてるだけ」という言い訳を簡単に否定することは出来ないという点にある。… 中略 …
イナゴ個々人が「思ったことを書いただけ」というのであれば、(説得力が無くても)嘘だとは言いきれない。
草日記 – 恐ろしいのは人の悪意ではなく、悪意の無いところにでもイジメ的状況が発生しうるという事ではないだろうか?(はてブの話)

(蛇足だが、引用元には『加害者がいないのに被害者がいる、という状況が、SBMなどの新たなシステムによって生み出される』とあるが、これについては SBM によって生み出された訳ではないと思っている。)

これが結論である。
「同一集団ではないブックマーカーという括り 対 少数」と言うのは、多数派と少数派の価値観の対立ではあるかもしれないが「いじめ」とは呼ばない。
これは、「2chネラー」などにしても同じである。はやりの言葉でいうと「ネットイナゴvs炎上元」という構図も同様に「いじめ」と呼ばないという事だ。
繰り返しになるが、単純に 多数派 vs 少数派 におけるネット上の争いは「いじめ」と同列にはおけない。(ただし気になる点はあるっちゃあるので後述する)

* その他
気になる点が二点ほどある。
(tinycafe氏に限った話ではなく、全般的に)ソーシャルブックマークと少数派の構図は、結論で述べたように「いじめ」ではなく「価値観の対立」と判断しているが、多数派による過剰な表現や悪ノリにより、少数派が「心理的苦痛を感じた」と訴え出た場合、法的にはどのように対応されるのかという点。
まず「心理的苦痛を感じたコメントなどのログ」や「心理的苦痛を感じているという診断」が必要になると思われるのだが、過去にそのような事例はあるのかという事。基本的に「脅迫・恐喝」や「名誉毀損」が認められなければ、訴えは却下されると思われるのだが、このあたりの問題はネットでの事例どころか、現実の判例すらまともに目を通した事がないし、勉強不足なので気になる。

二点目は、前回の記事に『“今のところは”ほとんどの場合において強制力を持たない』と挙げたが、近い将来ネット上で同一集団による何かが法的に義務付けられたり、実名の同一集団へのサービスがはじまったりすると想定すると、その時は「ネット上におけるいじめの問題」が再燃するのだろうなぁ、って事。

suVeneのあれ: 無断リンクにまつわる何だかなぁって話
suVeneのあれ: tinycafe氏とはてブの続き

*紹介していない記事でいじめ問題に関連していそうな記事(順不同)
rynoath – mind log ■この構図は何なのか?
草日記 – 恐ろしいのは人の悪意ではなく、悪意の無いところにでもイジメ的状況が発生しうるという事ではないだろうか?(はてブの話)
カナかな団首領の日記 – 「無断リンク禁止」と「はてブ」と「いぢめ」
此処録?
F’s Garage:なんかイジメっぽいね。
z0racの日記 – 「いじめ」は子供の行為である。


Web・Net関連

[sbm]「お気に入り」の人選が難しいという意見に対する考え

2006 年 10 月 12 日


こないだお気に入り機能に関する可能性という記事を書いた訳だが、今回はその問題点について考えてみよう。

って、思ったのだが、ほぼ以下のサイトが言いつくしている。

1. ある分野に特化したブックマークを見つけて「お気に入り」に入れてみた。
2. 有名ブックマーカーを「お気に入り」に入れてみた。
3. 継続的に読んでいるBlogの人のブックマークを「お気に入り」に入れてみた。
4. 自分と似た傾向のブックマーカーを「お気に入り」に入れてみた。(←今ここ)
(抜粋)
godzillaoffden – はてブの「お気に入り」の人選が難しいという話

引用元の人はこの様な経緯を辿り、それぞれのデメリットというか、いまいちだと思った点を上げている。そしてそれは尤もだと思える意見ばかりだった。
最後の雑感を引用してみる。

ところで、思うんだけど「お気に入り」を情報収集のエージェントのように使うという目的のためには自分の「お気に入り」の中だけで検索ができないと使い物にならないんじゃないだろうか。(del.icio.usもできないと思うから、はてブに限らない話だけど。)
godzillaoffden – はてブの「お気に入り」の人選が難しいという話

ここは「ストック」として SBM を考えた場合の検索方法の話なのだが、今は論点としていないのでおいておく。
重要だと認識しているのは以下の部分である。

もうひとつ思うのは「お気に入り」機能が確実に便利だと言える人は好みが良くわかっている知り合いがはてブを使っている人じゃないだろうか。僕にもそんな人がいれば便利だと思うのかもしれない。(これもSBM一般の話だけど)
godzillaoffden – はてブの「お気に入り」の人選が難しいという話

これはかなり重要だ。
個人的に「お気に入り」という人のネットワークによる情報収集に対する可能性を見出しているのだが、自分がどこのネットワークに繋がるのが最適なのかというのが、今のところかなり手探り状態で、引用元の人が言うとおり「はてブ」を使い込んで、ブックマーカーの傾向を自分で探し出さなければならない。
そもそも、俺もハテナ界に知り合いと呼べる知り合いはいないのだけれど、自分がお気に入りに入れる条件として判断する為に、かなりそのブックマーカーのコメント欄を読んでいると思う。
(これは意識してというよりも、自然に目を引くところがあるのだが)

この「お気に入りの人選」という問題点は意識していて、その解決する一つの試みとして[はてブ]お気に入りの紹介ってのを書いてみたのだが、それなりに反響はあったものの、個人ブログで紹介記事が増える訳でもなく(紹介された人は、被Favが増えたっぽいが)、増えたとしても情報が拡散してしまうのだなぁという感じもあった。お気に入りを紹介する事をためらう人もちらほら見かけたり。

私に勇気がなくてできなかったことを易々と……っ。
くやしい。
鼻が赤くなりにくいティッシュです – なんかくやしい

それはわかるのだけれど、では自分は紹介してみないのか?と考えてみると。こんな読む人の少ないダイアリーで紹介してもなぁ…とか、私のお気に入りに誰が関心を持つんだろうとか、何だか気おくれしてしまい。手が進まない。
b# – お気に入り紹介

前置きが長くなったが、これらの問題に対する解決の為のアプローチをいくつか考えてみる。(重複あり)

  1. 面白い記事をブックマークしている人、面白いコメントをつける人を自分の手で探し出す。
      今までの方法だが、これはこれで面白い部分がある
  2. 自分のお気に入りのお気に入りから新しい人材を発掘する。
      これはブックマーカーを階層化して辿るというZer0Readerでやってみた試みだが、お気に入りを探す方法としては回りくどい
  3. 人物紹介の情報を収束する。
      はてな人物辞典@Wikiで試された方法
  4. 各々のブックマーカーのタグクラウドを利用し、個人の価値観に近いブックマーカーを自動で抽出する、又は検索手段を設ける。
      これを大々的にやっているのはまだ見かけない。しいて言うならタグ検索をした場合の、technoratiの「このタブを使っているメンバー」が近いかもしれない。
ぱっと考え付くのはこれくらいか。
個人的に現在注目しているのは 3. と 4. の部分なのだが、これらの方法も問題点が無い訳ではない。

でも、長くなってきたので一旦終わり。
続きは明日以降に書く。

たぶん。

godzillaoffden – はてブの「お気に入り」の人選が難しいという話
はてな人物辞典@Wiki – トップページ
suVeneのあれ: [はてブ]お気に入りの紹介
b# – お気に入り紹介
鼻が赤くなりにくいティッシュです – なんかくやしい


Web・Net関連

[SBM]お気に入り機能に関する可能性

2006 年 10 月 10 日


はてブ衆愚論が一時期盛り上ったが、それについての自分なりの解のようなものを。

そもそも、自分が面白いと感じる記事と、自分以外の集団が面白いと感じる記事に誤差があるのは当然の事だ。

結局ユーザー参加型コンテンツがたどり着くところはココなのか?
fladdict.net blog: はてぶがドンドン馬鹿になっていく

この記事がいっているように、単純に不特定多数の意見を集計しただけだとココが限界。はてなの「人気エントリー」は、まさにこの「限界」を表現している訳で、個人のニーズとずれが出てきて「人気エントリはつまらない」と判断されてしまう。

では、最初は楽しいと感じたのは何故か?

それは、似たような嗜好や感性をもつユーザーが集まっていた可能性が高いからだと判断する。
どういう事かというと、「SBM サービス」としては delicious が大規模化した走りで、日本では Hatena が先駆者だと思うのだが、最初にそのようなサービスを面白がって使うユーザーは「ギーク」(簡単に言えば、パソコンオタクや技術屋。新しい物好きの人も多少含む)と呼ばれる人々が大半を占めるという事だ。似たような嗜好性を持つのだから、そのユーザーに人気の記事は当然共有される価値観を持つユーザーにも楽しめたという事だろう。そして、現在でも技術色やギーク色が強い SBM だが、サービスが一般化するにつれ、「面白い」と判断される記事は多様化されたという事である。
言わば衆愚化したのではなく、多様化してきたのである。

これまでの「サイト管理人」が参加する形のランキングは「カテゴリーされたランキング」という方法で、情報や価値観を収束する形式をとってきた訳だが、SBM では「サイトの読者」が独自に分類するタギング方式なので、情報や価値観がなかなか収束しにくい。
web2.0 の一つの条件である集合知というのは、Wikipedia や、ある一つモノに対する情報の精度を高めると言う意味ではとても有意義だが、個人の価値観とかけ離れていくのはしょうがいないというか、当たり前の事である。


前置きが長くなったが、結論から言えばこれは「母集団」を選択する機能が実装されれば、大半は解決される問題であると思われる。
簡単に言えば、「はてブが衆愚でなかったと感じる状態を自分で作り出す」という事だ。(あえて衆愚と言う単語を使う)
Zer0Readerを作って感じたことだが、「自分が面白いと思う記事をよくブックマークしている」ユーザーを数人お気に入りにいれ、そのユーザーが複数人ブックしている記事というのは、かなりの確率で面白いと感じる。はてブコメントによるコミュニケートできる部分も楽しいと感じるが、お気に入り機能に関する可能性を感じたのはここからである。

他の方法論として、Livedoor や、newsing(ニューシング)のように、個々の記事に対する個人の評価をサーバー側で保持し、プログラム的にパーソナライズ(個人の趣味に合わせて、お勧め機能やカスタマイズする機能)を作る事も可能なのだが、お気に入り機能の可能性が面白いと感じるのは、「人の手でブックマークを行う」というアナログな部分で、そのお気に入りのブックマーカーと自分との価値観のブレが新たなる発見へと繋がるからだ。これは、機械的なパーソナライズではなかなか再現しにくい機能である。

「はてブ」に見るソーシャルブックマークの限界
… 中略 …
結局のところ、はてなブックマークが持っていた価値というのは、「ネット業界の狭い世界の中の人たちがブックマークしていた」ということだったように思える。つまりは一般のネットユーザーとは異なる狭いコミュニティーの中から集合知を生み出していたわけで、だからこそ一般のニュースサイトは異なる貴重なブックマークを抽出できたのだ。だから、はてなブックマークのユーザーが増えて母集団が増えて大衆化していくと、一般ニュースサイトと同じようなブックマークが抽出されるようになるのは、当然の帰結である。言い換えれば、はてなブックマークがロングテールからショートヘッドへと転換してしまったということなのだ。
ITmedia アンカーデスク:検索エンジンが「ユーザーのその日の気分」を知る方法(中) (1/2)

この記事がいうように、SBMが、単なるブックマーカーの抽出のサマリーである「人気エントリー」しか利用価値がないと考えるとすれば、先ほども述べたようにそれが限界だろう。
この記事は解決策として、新たなる価値観を持つユーザーを集めたコミュニティである newsing を取りあげているが、それでは先ほど ギークと呼んだ人々が、単に他の価値観を持つ人間を最初に集めたというだけで、何ら解決策にはなっていないと思う。母数が増えれば結局「衆愚化」するという事だ。(引用元の記事でもその問題は認識されているようだ)
その次に、「mixiのコミュニティ」を挙げているが、これは別の話である。
確かに、mixiのコミュニティはある種小さな集りを繋いで大きな集合となっている訳だが(ニュートラルネットワークのような)、SBM とは根本的に情報へのアプローチが異なる。

しかし、ヒントはあるわけでそれが「アナログなネットワークを繋げる≒お気に入り機能の強化」だという一つの解だという事だ。

個人的に考える解には、現在のお気に入り機能には足りない部分がいくつかあるのだが、それはまた今度の機会にでも。

fladdict.net blog: はてぶがドンドン馬鹿になっていく
ITmedia アンカーデスク:検索エンジンが「ユーザーのその日の気分」を知る方法(中) (1/2)
newsing(ニューシング) – ソーシャルニュースサイト
追加:
[鏡] しっぽのさきっちょ 2006年10月 — Spiegel’s Trunk



Web・Net関連