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読者なんて勝手なモノです

2008 年 8 月 5 日


記事のカテゴリーが偏ると閲覧者に文句を言われる – ARTIFACT@ハテナ系 はてなブックマーク数 を読んで思ったこと。
それは読者、というか、どこぞの人物やら文章やらに興味を持った第三者というのは、えてして勝手なモノだろう、ということだ。(当然自分も含めて)

最近、中島聡氏のブログでは、自身が運営しているPhotoshareの話題が多い。気に入った写真などの紹介も多いのだが、そうしたらその記事でこんなコメントが。

最近、この手のエントリが続いていますが、そもそも技術系のエントリに興味があって、RSS 購読を始めた私としては、RSS 購読の継続をためらってしまいます。

RSS リーダの時代になって、更新が長期間滞る事は一向に構わなくなったので、技術系エントリだけ RSS を別に分けてもらうような事は出来ないでしょうか?

Posted by: Otchy | 2008.08.03 at 09:16

自分はRSSのカテゴリーで「アルファ」から「ガベージ」に移したから無問題。

Posted by: ぶらりん | 2008.08.03 at 16:02

わたしも内容の濃いエントリを楽しみにしていましたが、最近は宣伝エントリ?が多いように感じRSS購読の継続を考慮中です。

可能であればOtchy様の提案のようRSSを分けてもらえると大変うれしいのですが…

Posted by: m | 2008.08.04 at 07:49

特定のジャンルでの第一人者(アルファブロガー)として一度認識されると、こんなこと言われちゃうようになっちゃって大変だなあ。

記事のカテゴリーが偏ると閲覧者に文句を言われる – ARTIFACT@ハテナ系 はてなブックマーク数

冒頭の例を挙げるならば、例えばタレントの清廉潔白性を妄想して、何らかのスキャンダルで失望する人や、小説家などの著名人に対して、今ままでの作風と違う!!!という批判をする人や、もろもろ。特定のカテゴリやレッテルが“一般的”な認識になった後、そこから外れたときに、その外れたことを理由に批判されるというのは、昔からそういうものだと思う。

まぁ、「昔からそうだった」からといって、正当性なんて露ほどもないわけだが、やはりそういう認識や批判を受けるという事実は変わらないのだろう。期待というのはそのように一方的で勝手なものなのだ。(本人に伝えるかどうかはともかく)


ただ、昔ならばタレントや評論家や小説家、などといったメディアに登場するような、ある程度名前が通っているような人に向けられる特定の批判だったのが、今や「アルファブロガー」といったところまで、敷居が下がってきているということなのだろうか。

はてなブックマーク では、件のコメントしている人を「バカな読者」「お客様気取り」という発言が幾つか見られるが、俺の場合はタイトルどおり「勝手な読者」だとは思うが「バカ」とも「お客様気取り」だとも思わない。

いや、あのコメントの内容に関しては全く持って同意しかねるのだが、それはそれ。「RSSを分けるつもりはありません。ツールなり pipes なり使って読む側で切り分けるか、購読をやめてください」という対応で終わりなんじゃないの?と思うのは、「アルファブロガー」じゃない俺だから言える意見なのかもしれないな。

でもまぁ、アレくらいの意見で“脅迫に近いものを感じる”人がいたり、“書きたいことも書けない”という人がいたりするということは、まだまだ「勝手な意見」というのは、「反論する以前の問題で、そもそも発言すべきではない」という認識の人が多いのかもしれない。

自分が好きなことを書くためにブログを始めたのに、ブログの読者が多くなると、書くことが縛られてしまう。

記事のカテゴリーが偏ると閲覧者に文句を言われる – ARTIFACT@ハテナ系 はてなブックマーク数

この気持ちは確かにわからなくもない。
それでも尚、俺が言いたいのは、出来るだけその書き手自身が好きなこと、興味のあることを、周りの影響を最小限に留める努力をしつつ、言いたいことをそれぞれが言ったり書いたりしてくれるといいのになぁ、ということだ。

あぁ、なんか昔も似たような記事を書いたことがあったなぁ。
という訳で、結局何が言いたいのかといえば、id:kanose さんも Life is beautifulの著者さんも、勿論それ以外の表現者さん達も、そういう意見にめげたり、妙な強迫観念を持ったりせず、自分の思うように表現してほしいなぁという、個人的なささやかな願いな訳ですよ。


関連エントリー

- suVeneのあれ: 「表現」するということと、その「読者」 はてなブックマーク数




Web・Net関連

「表現」するということと、その「読者」

2008 年 3 月 18 日


どんな記事を読みたいでしょうか?お答えくださった方に、はてなポイント差し上げます(全体で計500P) – ヘボメガネ一進一退 はてなブックマーク数
http://d.hatena.ne.jp/hebomegane/20080317/1205724829

を読んで。
リンク先の内容は、「読者はいったい何を求めているのか」ということなのだが、これを読んで最初に思ったことは、「著者はいったい何を求めているのか」だった。

ブログを書く目的とは何か

人によって、ブログを書くこと。すなわち、文章によって表現する意味というのは様々だろうが、俺にとってブログを書くことをいうのは、技術的な話は別として、自分の意見に対する反応をみる事が一番の目的であると思う。反応をみてどうするのかといえば、自分の意見との差異を考えたり、自分にない視点を参考にしたりしている。

そういった価値観のもとでブログを書いていると、「ブログを続けるコツ」のような記事に対して、素朴に疑問を持ってしまう。というのも、タイトルやその内容から「ブログを続ける事」が目的とされているように感じてしまい、何の為にブログを続けるのだろう?という考えが浮かんでくるからだ。(実際は手段としてのコツが書かれているだけで、目的は別にあるのかもしれないが)

「読者が求める」という「読者」について

確かに、自分が何かを表現していると、「読者は何を求めているのか」ということを考えてしまうことには同意できる。これは、特定の知り合いなどとの会話において、相手の求める会話や興味のある内容を話すことで、距離感が近づいたり、場を共有する雰囲気がよくなったり、共に楽しめたりするのと同じ原理ではないかと思う。というのも、特定の知り合いの全く興味ない話を、相手の反応も伺いもせずに話し続けることは、なかなかないのに比べ、ブログなどは、コメント欄などがあるにしても、ある種一方通行的な表現になってしまいがちだからだ。

では、自分の文章を読んでくれる「読者」は、いったい何を求めているのだろうか。俺が思うに、それは「そのブログに興味がある人が「読者」なのだ」ということだ。そう。順序が逆なのである。「読者」が興味があるものは何かではなく、興味があるから読んでいる人が「読者」なのだ。

「読者」は移り行く。しかしそこには「読者」がいる

表現することを長く続けていれば、意見を交わすことが多くなるユーザが表れたり、RSSリーダなどにより、更新情報を拾って読んでくれるユーザというのも、増えてくるだろう。だが、(どれくらいの割合でかは分からないが)逆に今まで読んでいたけど離れていくユーザも少なからずいるのは確かである。考えてみれば当然のことだ。それぞれのユーザが、何を求めて読者になったのかは分からないし、その読者自身の求めるものが変わってくれば、おのずと距離を置くということである。

要するに、俺が言いたいのは、移り行く読者を繋ぎとめる為の文章ではなく、自分が表現した内容に興味を持ってくれる読者の為の文章を書いてたほうがよいのではないかということである。

勿論、ブログを書く目的なんて、人それぞれなので、こんな提案は蹴ってもらって一向に構わないのだが、少なくとも俺は、(数少ない更新において)そのようなスタンスで書いていきたいと考える。


参考エントリ

どんな記事を読みたいでしょうか?お答えくださった方に、はてなポイント差し上げます(全体で計500P) – ヘボメガネ一進一退 はてなブックマーク数

関連エントリ

suVeneのあれ: ブログを続けるコツは何ですか? はてなブックマーク数
suVeneのあれ: 何故 blog を書くのか その1 はてなブックマーク数




Web・Net関連

ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義 – 補足と反応

2006 年 12 月 1 日


* 前記事に対する補足

前回の記事の最後に
『個人的には、「自己表現至上型」の人が頑張って主張する事により、共感者が増える事は好ましい』
と書いて誤解を招く書き方だったかも知れないが、どちらの主義が良いとは思っていない。
ただ、「自己表現至上型」が増えるほうが、どちらかというと面白そうだという意味で「好ましい」という表現にしている。

ただ、「他人の文章を楽しむ」という目的の元に、デメリットがない訳ではない。
これは、LSTYさんのコメントに集約されている。

# 2006年12月01日 lsty 最後に触れられているような、自己表現の結果の共感者というのがクサいと思う。結局そういう人が「取り巻き化」してしまってブロガーが勘違いするのが恐い。最近、自分にもそういう部分があると思った。

鋭い(というと、なんか俺が偉そうだが)。たまたま同じところに疑問を感じていただけかも知れない。
と言うのも、「自己表現至上主義の共感者」というのは、「自分の言葉で語りさえすれば、何かを言った気になる」という事になりかねないという話だ。
(違うかもしれんが、俺はそう思ってる)
具体的には、どこかで見た記事の焼き直しのような言葉と主張で「全てに同意します」的な文章の事である。
本当に「全てに同意」しているのならばそれでよいのだが、LSTYさんの言葉で言うと「取り巻き化」してしまい、全てに同意する記事しか書かなくなってしまっては、(俺が)面白くない。

そして同じく、LSTYさんが言うように、俺にもこれは当てはまる。
特定の「取り巻き」という訳ではないのだが、既成概念やステレオタイプな概念からの脱却というのはかなり難しく、無意識のうちに効率化、合理化、推論の為、そして浅はかさを原因として深く考慮もしないままに、「それが自分の意見である」と思い込んでいる部分がかなりあるだろう。

俺が怖いのは「自分の意見が絶対である」と思い込むところであり、わざわざ前のタイトルに「自己表現主義」ではなく「自己表現“至上”主義」とつけたのは、そのような意味もある。


* 他の意見への反応

# 2006年12月01日 konichan 私も「自己表現至上主義」。最後のまとめは同感。読む立場に立つと馴れ合いの転載記事は単なるノイズ→http://schutz.blog2.fc2.com/blog-entry-41.htmlで読むに価しない
(強調は引用者による)

俺も転載された記事をノイズだと感じるのだが、「読む立場」とまで言うのは、やや一般化させすぎではないかと感じる。
と言うのも、この意見だと「ノイズと思わなければ、読んでいない」という事とほぼ同義だが、観測範囲が狭く転載記事をノイズと感じない人の中にも「しっかりと転載記事を読んでいる人」がいるだろうからだ。(善意の転載系においては少なそうだが、例えば小説やポエム、仕事の Howto や lifehack など)
まぁ、コメントのそんな言葉尻を捉えてもしょうがないんだけども。

# 2006年12月01日 sweetlove ボタンひとつで簡単だから「手抜き」とは思わないんだけど、転載は思考停止してしまっている

「転載は思考停止」という大雑把な括りではあるが、「善意の転載」については「善意の記事とその転載による結果」という意味で「思考停止」しているというのならば同意である。だから、+LOVE2.0+ – 転載(天才)詐欺にご注意を。という記事は、具体的な例を示して説得力のある良い記事だと思っている。


* 補足まとめ

価値観や、倫理、道徳、ルールなどにおいて、自分なりの意見がしっかりしていないというのもあって、うまくまとめられないのだが、いずれにせよ「至上主義」というのは、時として排他論を生み出す。行為の排他という意味においても、価値観の排他という意味においてもだ。
俺個人は「転載」という行為から波及するあきらかな不利益については、断じて排他的に訴えたいが、「馴れ合い」という価値観は「個人のブログ上やSNS上において」今のところ排他しない。
結局は「内面・外面」の問題に行き着く事になり、その切り分けは分断されたものではなく「内面から来る外面」という問題と絡まって、踏み込むべき境界線はよりいっそう曖昧となり複雑になるのが悩ましいのだが。
だからこそ、俺は安易に相手の価値観を否定する事は避けたいと戒めとして、まとめておく。


(まとめておくと言いながら、一言)
まぁ、「価値観の表明」を勝手に「自分の価値観が否定された!」と解釈してムキになるほうもアレなんだがネ。

suVeneのあれ: ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義



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ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義

2006 年 11 月 30 日


ブログに対する思いは人それぞれである。
その人が何を目的とし、何の為の手段としてブログというツールを使用しているのかは、多種多様であるという事だ。

ブログの目的というのは何かという考察を半年ほど前に書いた事があるが、今回はその中でも「自己表現至上主義」と「馴れ合い至上主義」を取り上げて書いてみようと思う。


*「自己表現至上主義」と「馴れ合い至上主義」の定義

説明するまでもないが、念のため簡単な定義をしておこう。

  • 自己表現至上主義とは
    • ブログが自己表現の為のツールであると同時に、「ブログで自己表現する事自体」に価値を見出す事
    • 自己表現の為以外にブログを使用する事を認めないほど、自己表現至上主義傾向
  • 馴れ合い至上主義とは
    • 書く内容や自己表現より、他人と繋がる事に価値を見出す事
    • 繋がりを重視するあまり、会話の流れを分断するような指摘などを認めないほど馴れ合い至上主義傾向
完全にどちらかの至上主義な人はなかなか居ないし、他の目的を兼ねて持つ人がほとんどなので、傾向としての定義とする。


* すれ違う文化

この二つの文化がすれ違いを生んでいると感じるのは、Yahoo! での記事転載機能においてだ。

まず、転載機能の主な批判として「転載機能の危険性(主に善意の転写)」「文責のなさ」「チェーン化」「二次転写・三次転写を禁止する矛盾」などがある。
そして、それと同時に「転載は自己表現とは言えないのでその価値を認めない」という主張する人が、自己表現至上型の傾向があると言える。

勿論、相手の価値観を認めないのは自由だし、個人の意思を表明するのも自由だが、そこで「すれ違い」だなぁと感じる。
何故ならば、転載を繰り返す人の中の傾向として「馴れ合い至上主義型」の人が多く含まれていると感じるからだ。
(感覚になるが、コメント欄などで「転載します」「これはひどいですね」「これはいい記事ですね」という一言のコメントが目立ち、中身よりもメッセージを残し互いに評価する事(評価される事)によって、繋がりを持とうとしているように見える)

この推測が正しいとすると、「自分の言葉で表現する事に意味がある」というメッセージの表明は、共感できる人には伝わりやすいが、「馴れ合い」を目的とする人々にはほとんど通じない。面白い記事や動画などを共有して繋がれるのに、「自分で書いた文章」を用意する必要性は少ないからだ。お笑いを楽しむのに自分で漫才をする人が少ないように。

もう少し言うと「どんなお笑いが好きか」という事でもって、ある意味「自己表現」しているとも言える。趣味や嗜好、コレクションの開示と似たようなモノである。「文章でもって表現する事」が大事かどうかは二の次になりやすい。


* 自分の言葉で語らない事に対する苛立ち

自己表現至上型とは少し異なるのだが、「努力推奨型」という価値観もある。
要するに「ボタン一つで転載していたら、力が身につかないので下手でもいいから自分の力でやったほうがいい」という価値観だ。これも、先ほどのすれ違いと同様に、相手には届かない文章である。
それは、相手が「努力をしない」とか「文章が読めない」という事を言っているのではなく、ブログに対する目的がそもそも違うからだ。
ブログ以外の場所だと、馴れ合い型の人も理解の為に多大な努力をしているかもしれないし、していないかもしれないが、その事はあまり関係ない。あくまでブログに対する価値観の話である。
俺はこの「努力推奨型」にはかなり疑問がある。
「目的によっては」簡単にできるなら簡単にすればいいし、ボタン一つで済むのならばそれに越したことはない。
(「目的がすれ違っている事」を意識していないから相手に理解する努力を促すのか、手作業でないと意味がないと思っているのかは定かではないが)
その簡単な動作によって、外部に不都合や迷惑が起こる(または因果がある)のならば、それは指摘すべきだろうけど。


* まとめ

前回の記事では、相手の価値観を否定しても水掛け論になりやすいという意見だが、今回のはそもそもすれ違っているという話だ。

前回の記事のコメントで
『モノゴトは、「動機」などどーでもいいよ、行動とその結果だけが大事なんだ、という話』
『「自己満足」とか「偽善」とか言って相手を非難すると、ものすごくつまらない話になる』
というのがあったが、「内面を否定するな」という事ではない。
あくまで、(簡単ではないが)検証可能である外面的な話と、思想や価値観が絡む内面的な話を切り分けて考えた方がよいという事だ。(俺もよく混同するが)


* 最後に

個人的には、「自己表現至上型」の人が頑張って主張する事により、共感者が増える事は好ましい。
何故なら、そのほうが面白いブログが沢山読めるから。
俺は人の反応や考えを見たり聞いたりする事が好きだが、大勢の人と馴れ合うのは嫌いというよりめんどくさい。

ただ、世の中を見渡してみると「馴れ合い」を良しとする文化の方が多数だと思う。
別にそれは悪い事だとは思わないし、あまり関係のない話なのだが、ネットの世界にもその波が押し寄せてきているのだなぁとは感じるのである。
携帯文化があって助かったといえば助かっているのかもしれない。

* 関連記事
suVeneのあれ: 何故 blog を書くのか その1
suVeneのあれ: 「善意」を「偽善」であると否定しても水掛け論
suVeneのあれ: ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義 – 補足と反応



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ブログとウェブデザイン

2006 年 11 月 13 日


最近はてなダイアリーでは、ユーザーが作成したデザインを共有する事により、気に入ったデザインを簡単に設定できる機能が提供された。

はてなダイアリー日記 – はてなダイアリーデザイン管理機能リリース

コレはとてもすばらしい発想なのだが、一つだけ困った事がある(俺が)。
それははてな内でブログデザインを変えるサイトが多発している事だ。
まぁ、「多発」と言ってもどれくらいの頻度で発生しているのかわからないが、とりあえず「あれ?」と思った記憶が印象に残りやすい事は確かだ。

で、何が困るのかと言うと、「ブログにとって、デザインは顔」のような感覚で接しているので、ふとデザインが変わっていると「初めて読むブログ」のような感覚に囚われる。ブログを書いている人を同一だと仮定すると、デザインは「服」のようなモノなのかもしれないが、例えば制服の学校や会社に通っていて、ある日プライベートな時間で学校や会社の人を見かけた時、一瞬誰だかわからないような感覚である。

よほど印象的な文章を書く人や、何度か意見のやり取りをした人でない限り、「名称」というモノを覚えるのが面倒なので
「ブログとその外見のイメージ」というのは大切なのだ!(俺にとって)

んで、何が言いたいのかというと、ブログでお洒落なデザインを追及するのもよいけどコロコロとデザイン変えてたら誰だかわかんないよーって話(俺が)で、それ以上でもそれ以下でもない。
(その中でも ululun さんのブログは、文体が特徴的なのでわかる)

もう少し言えば、大抵の場合誰が書いてるかは“どーでもいい”ので、このエントリーはホント意味のない文章。

何でこんな話を書き始めたかっつーと、「俺もはてなダイアリー使ってみたいなー」と思ったんだが、「デザイン考えるのめんどくせーな、おい」とか思ってて、「そういえば最近デザイン変更してるとこよくみるなぁ」ってところの延長線。

うわ、くだらん。

とりあえず、ここを見た人でデザインをコロコロ変更する人は、俺の為に favicon を設定しなさい!
(favicon は覚えてる事が多い)



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