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「人それぞれ」とはコミュケーションの断絶である – 加筆修正

2009 年 9 月 21 日


前置き

これは特定個人の心理を断定したり、なぞったりするエントリではありません。「うそとネチネチと KY と 」で引用したエントリに対する、状況・関係を推測している部分もありますが、あくまで個人的な推測であり、断定しているわけでもありません。
そういう前提の元に、普段から感じることを文章に纏めた内容になっているので、それを踏まえてお読みください。

本文

何をいまさらなテーマだが、たまたま私生活において、「うそ」や「議論」に関する本(「だまされない〈議論力〉」など)を読み返していたのと、先日書いた記事(「うそとネチネチと KY と 」)と、その他普段目にするものが重なって、やはり「議論する・対話する」というのは、とてもコストがかかるものであり、また、いたるところで避けられているのだなぁ、と改めて考えたと。

ここでいう議論・対話とは、少なくとも「お互いに主観による主張と、その根拠を自分以外の相手に述べること」くらいは前提として使っているが、その前提をクリアする為の条件には、

  • お互いに「向き合う」姿勢があること
  • 相手の意見を聞いて、自分の主観に影響を受けることや、考えを変更することがあることを認めること
  • 一つのテーマについて、お互い共通認識がとれたと“思える”まで繰り返し付き合うこと

といったものが必要になってくる。

その意味で、「うそとネチネチと KY と 」で引用させていただいた男女については、はなから「向き合う」という前提が共有されていないにも関わらず、男性は「相手が真摯に答えて当然」という誤解をしたようにも思う。要するに、あの文章だけ読めば、男性は、女性に「相手にされてなかっただけ」であり、対話するだけの関係を気づくことができなかっただけなのではなかろうか。

「だまされない〈議論力〉」の内容については、今回は深くは踏み込まないが、概要だけいうと、議論に対する考え方・前提などの解釈の仕方・注意点などについて書かれている。その中で一点、今回のエントリに関連する内容に関連する部分を挙げるならば、前置きや相対主義などの説明の部分で、『「人それぞれ」はなにも問題を解決しない』と述べており、さらに『「人それぞれ」は他を尊重するようでいて、実はコミュニケーション拒否』とあるところだ。これは全くその通りだと思う。

「拒否」とあるので、拒否するのは悪いこと、のような意味に読み取れるかもしれないし、実際この本の中では「議論」という意味においてそのように解釈できるが、少なくとも個人的にはそのような意味では考えていない。コミュニケーションを「拒否」するのは、それなりの理由があるからなんだろうなぁ、と考える方が多いと思う。(当然、拒否されて憤慨するシチュエーションもあるだろうけど)

その理由とは、

  • 理由を説明するほど考えがまとまっていない。
  • コストをかけてまで(又はコストがなくとも)、主観を相手に伝えることに意味や価値を感じない。
  • 根拠を説明するだけの語録がない。
  • 議論に慣れていないので、価値観の違いから「対立」することを避けたい。
  • 相手の考えを、聞きたいと思わない。
  • 感じたものを「自分だけのもの」にしておきたい。

などだろうか。
どんな理由にせよ、やはり「人それぞれだから」といって、その話はそれでおしまいにするということは、相手がその会話を望むという要望に対する「拒否」であることには変わらない。

「私はこう思う。あなたがなんと言おうと、なんと解釈しようと、こう思う」

というのは、ひとつの信念であり、誰もそれを否定する事はできないのと同時に、信念であることから、他者の解釈・信念を排他するということである。また、逆に信念でなく、「どうでもよいこと」などについても、いちいちコストをかけることもないだろう。ただ、問題は、その「どうでもよいこと」が共通認識だという思い込みが、いたるところに見受けられると感じることである。

関連リンク

- うそとネチネチと KY と – suVeneのアレ はてなブックマーク数
- だまされない〈議論力〉



思想・心理・議論・対話 , , ,

Re: 「Latest topics > 事実のみを指摘する、事実のみを話題にするとはどういう事かを、自分に考えつく範囲で考えてみた – outsider reflex」 ~ モヒカン的対応とは

2009 年 4 月 28 日

Latest topics > 事実のみを指摘する、事実のみを話題にするとはどういう事かを、自分に考えつく範囲で考えてみた – outsider reflex はてなブックマーク数
への返信と感想。

発端は、 前回の記事 はてなブックマーク数を書いたときに、思わぬ TB が飛んだみたいで、引用もとの管理者 Piro氏から、以下のような質問があった。

2009 年 4 月 25 日 13:17 #1
トラックバック元も先も重複しているトラックバックがありましたが、もしかして、こちらのエントリから当方の別エントリに対してのトラックバックを意図して行われたものだったのでしょうか?

「何故」と問うことが無意味になる場合 – suVeneのアレ はてなブックマーク数

これに対して、全くこちら側が意図せぬ TB だったので、以下のように返信した。

2009 年 4 月 26 日 15:16 #2

@Piro
あれ、TB 飛ばしたつもりはないです。誤爆です、申し訳ない。削除いただけますか。

「何故」と問うことが無意味になる場合 – suVeneのアレ はてなブックマーク数

すると、数日後に誤爆した先の URL と削除した旨の返事があったので、お手数をお掛けしましたと述べて、以後気をつけようと思っていたところで、冒頭のエントリーを目にした。

4月27日23時17分現在、このエントリからはこのサイトへのリンクは行われておらず、また、名指しされている箇所もないため、このエントリが自分のエントリを参照して書かれたものであるという確証はどこにもない。しかし僕は、その前後にちょうど僕が別のエントリで醜態を晒していた事と、新しく書かれたエントリの内容を勝手に結び付けて、前述の重複したトラックバックはこの新しいエントリから僕がコメント欄で醜態を晒しているエントリへのトラックバックを意図して送られた物だったのではないか、と、証拠もなく妄想した

Latest topics > 事実のみを指摘する、事実のみを話題にするとはどういう事かを、自分に考えつく範囲で考えてみた – outsider reflex はてなブックマーク数

ええええええ!

相当びっくりした。「勝手に」や「証拠もなく妄想」という、本人による強調がなされてるものの、26日の15時の時点で、「誤爆」であることと、「謝罪」をしていて、尚且つ 4 月 26 日 23:39 の時点で返信も頂いているのに、そこに書いてあることは全く無視して、以下のような妄想をなされたようである。

相手が僕か、あるいは、僕のエントリをウォッチしていた人達に何かを伝えたいと思っているにも関わらず、単純なミスでそれが伝わらなかったのならもったいないと勝手に気を利かせて

Latest topics > 事実のみを指摘する、事実のみを話題にするとはどういう事かを、自分に考えつく範囲で考えてみた – outsider reflex はてなブックマーク数

いやいや、「誤爆」であると明言しているわけだが。とはいっても、ここに書いてある対応をとられた時点では、こちらの意図などわからないのだから、ありえなくもないのだが。そして、次のように続く。

でもその行動の根拠になっているのは、あくまで、僕の勝手な妄想であり、推測による思い込みであり、客観的な根拠は全く無い。偏見だけれども、こういう行為をこそモヒカンの人は慎むのではないだろうかと僕は思っている。そして、これまた偏見だけれども、4あるいは4-1の選択を取るのが正しいモヒカンという物なのではないかとも思っている。モヒカンの人の言う所の、表出した物だけから確実に機械的に客観的に読み取れる情報だけから考えるとは、そういう事なのではないかと思っている。

Latest topics > 事実のみを指摘する、事実のみを話題にするとはどういう事かを、自分に考えつく範囲で考えてみた – outsider reflex はてなブックマーク数

で、引用元にある 4. 又は 4-1. の対応とは何かというと、

4.同じトラックバック元・トラックバック先のトラックバックが重複して送られたという事実だけに注目して、それが一体何のための物だったのかを先方に淡々と問う。「トラックバックが重複していましたが、これは一体どういう意図での事でしょうか? 同じエントリに同じエントリから期間を置いて2度トラックバックする事で、あなたは何を伝えようとしていたのでしょうか?」

4-1.ついでに自分の感想も付け加える。「技術的には全く無意味なので僕にはアホな行為としか思えません。が、そこに特別な意図を込めたいと思う人もいるでしょうから、まぁ、こだわりません。」

事実のみを指摘する、事実のみを話題にするとはどういう事かを、自分に考えつく範囲で考えてみた – outsider reflex はてなブックマーク数

モヒカンがどうあるべきかという定義にまで踏み込まないとしても、「事実」と「意図」を混同している気がする。まず、事実として、

「2度TBを送ってしまった」

というのは、否定しえない事実であり、また私自身も認めている。故に、その事実を持って

同じエントリに同じエントリから期間を置いて2度トラックバックする事で、あなたは何を伝えようとしていたのでしょうか?

と問うのは、全くもって理解できる。事実のみを指摘し、事実のみを話題にするという主旨にも賛同できる。しかしながら、次に続く

技術的には全く無意味なので僕にはアホな行為としか思えません。が、そこに特別な意図を込めたいと思う人もいるでしょうから

というのは、相手が「特別な意図」を持っているという前提に立つ感想は、これも勝手な憶測であり、

一体何のための物だったのかを先方に淡々と問う

姿勢とは、程遠いと個人的には考える。従って、

モヒカンの人の言う所の、表出した物だけから確実に機械的に客観的に読み取れる情報だけから考えるとは、そういう事なのではないか

という態度とは、全然違うと思うのだが、どうだろうか。それとも、引用した部分は実際には、

(あなたがもし特別な意図をもって TB を2度送ったのだとすれば、)技術的には全く無意味なので僕にはアホな行為としか思えません。が、そこに特別な意図を込めたいと思う人もいるでしょうから(あなたにそのような意図があったかどうかわかりませんが)、まぁ、こだわりません。」

と、カッコ内の補完を持って読み解くことはできなくもないが、そうだとすると「こだわらない」わりに、相手の意図が不明確にもかかわらず、わざわざ自分の感想を伝えようとする意味がよくわからなくなる。

いずれにせよ、「事実のみを指摘する、事実のみを話題にするとはどういう事か」というタイトルにしては、事実と意図とを明確に切り分けてるようには見えないエントリーであったとともに、伝えたこと・書いてあることを大いにスルーした上で、尚且つ書いてない意図を大いに裏読みされたのが久々で、とても驚いたという話。

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