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2008 年 1 月 10 日 のアーカイブ

お前は敵か味方か

2008 年 1 月 10 日

炎上、というか、人が集まってきて熱中しやすい話題というのが幾つかある。
その内容は、政治、宗教、差別といった社会的に大きな問題から、好きな歌手や、応援している球団、のような、まさに「自転車置き場」に代表されるような身近な問題までさまざまだ。

で、今日はそれらの中のひとつの話という訳でなく、それらの議論をしているときにかなりの割合で発見できることができるタイプについて書いてみる。どういうタイプかといえば、タイトルどおり、「お前は敵か味方か!?」という視点を固持しようとするタイプの人のことである。(自分だけ固持するどころか、相手にもそれを望むタイプ)

以前、私は mixi のとあるコミュの「分煙について」みたいなトピックで、取り交わされる議論を見ながら、自分の意見を何個か投げたことがある。その際、自分が喫煙者か非喫煙者かを特に明記せずに、質問をしたりしていたのだが、その中で意味のわからない糾弾をされたことがある。「で、あなたは喫煙者なんですか!非喫煙者なんですか!」というようにだ。

このように、「分煙について」だけでなく、人が熱中しやすい話題の中で、“どうあるべきか”または、別の論点で話をしているのに、「どちらのグループに属するのか?」という、全然関係のないことを持ち出す人はよくいる。
(もちろん、そのグループ同士の利害を争う話し合いなどはそれでよいのだが)

こんな話を、先日 IRC でしていたところ、otsune さんが以下のようなリンク先を教えてくれた。
消される前にコピペしときますね。 – Noras はてなブックマーク数
内容は、DoCoMoによる“フィルタリングサービス”のコンプライアンスについてのトピックなのだが(同性愛、政治・宗教などをフィルタすることが差別に当たらないのか、など)、議論している人たちの中に「ずいぶん突っ込むあなたは同性愛者ですか?」や、「DoCoMoにかみつくのはいちゃもん」というような、趣旨とは関係のない視点で敵味方を決めようとする人たちが見受けられる。

こんな感じで、ピュアなのか、自分の意見が多数派であることを武器にする為のアピールなのかはわからないが、白熱した議論(特に、社会の情勢上、多数派・少数派に分かれやすい議論)では、このタイプの人間が大抵数人いる。

今日も創価学会の話題を扱う場所で、そのような人を見ながら、以上のエントリが思い浮かんだ。で、結論はなんなの?ってことなんだが、そういう人達の意見は、はたから見ている分には「おもしろいなぁ」と感じるというだけの話である。



思想・心理・議論・対話

Prieaショボーンだわ!

2008 年 1 月 7 日

ウェブに写真をアップロードして、そのアップロードした写真を無料で現像して配達してくれるサービスがある。もちろん、広告は入るが。

Priea(プリア) 無料写真プリントサービス はてなブックマーク数

よほど大切な写真じゃない限り、スナップ程度なら十分な品質のサービスだ。内容は、1ヶ月につき 30枚まで写真印刷可能。

そしておまけに

20080107_1.gif

というサービス。なんと2G!

だったのだが、さっき一通のメールが来た……

20080107_2.gif

って、ええええええ!

月30枚 が 月10枚になるのは、個人的にまだ許容範囲として

容量 2G から 200MB ってどうなんだ!

そりゃまぁ、無料だしってのもあるが、それにしても 1/10 の容量にする割に、お知らせから変更までの期間が唐突過ぎな感じが否めない。

ショボーンだよ、ショボーン。



Web・Net関連

「嫌なら見るな」について

2008 年 1 月 7 日

新年早々風邪をひいて、この世の果てを彷徨っていたので、数日前のエントリからの感想。

新年もマシンガン その1:「嫌なら見るな」を撲滅したい – HINAGIKU 『らめぇ』 はてなブックマーク数

中に書かれている「初音ミク」に対しては、何の思いれもないし、知識もないのだが、その中から「嫌なら見るな」について思うことを書きたいと思う。
(ちなみに危機的状況だったのは、直接的に風邪のせいでなく、食糧不足・栄養不足の為)

リンク先の内容を要約すると、「「嫌なら見るな」という言葉は、「嫌と言われたくないならば表現するな」と同じことだ」というような感じで、エントリの内容は同意できる話だった。エントリの前提として、表現者A が 批判者 B に対して放つ言葉のパタンだと解釈した。

で、エントリ自体にはとても同意できるし、私も自分のエントリに対する批判や反論に対してあまり「嫌なら見るな」とは、(たぶん)言った覚えはないのだが、これ以外のパタンで「嫌なら見るな」と言いたくなる事があるなと考えた。それはどういう時か。

それは言い換えるならば、「嫌なら見るな」というよりも、「嫌ならば見ない方法もありますよ」というニュアンスなのだが、それは些細な言い回しなので、あまり大差ないかもしれない。(いや、言い回しで大差ある場合がよくあるが)

例えば、とある誰かが普段生活している上で、何かの表現を見て不快感を得てしまうことはよくある事だと思うのだが、それ以降その人は、何かにつけその不快感を得た表現の元に自ら接近し、不平不満を述べているような状況を目にした場合、「嫌なら見なければいいじゃない?」と言ってしまいたくなる。少し分かりにくいか。

要するに、「嫌だ嫌だ」という不満をあげつつ、その嫌な原因を解消しようとしない状況というのはよくあって、実は嫌な思いをしない住み分け方法(リンク元の言葉を借りるとゾーニング)が確立していることを自分が知っている場合、ついその手段を提案してしまいたくなる。
まぁ、リンク元の人は、そもそもその「ゾーニング」自体が気に入らない訳で、異なる意見がぶつかって戦うという面倒を乗り越えた後のメリットを主張している訳だが、不平・不満・不快感を独り言のように呟やき、直接衝突する訳でもなく、非生産的と(自分が)判断しうる状況に出くわした場合だ。

まぁその提案にしたって、別にその不平・不満・不快感を述べる人の為なんかでなく、その陰気な意見を自分が聞きたくないからという、それこそ「嫌なら見るな」と言われかねない動機からな訳であり、言われる方にしてみれば、「大きなお世話」である可能性が高いのはいうまでもない。

とまぁ、こういうパタンもあるなぁとか、実際ゾーニング必要な状況もあるしなぁとか、「嫌なら見るな」に「嫌と言われたくなければ書くな」と返す水掛け合いも(傍から見てる分には)ありだよなぁ、というような取り止めのないことが思い浮かんだだけなので、これといったまとめがある訳ではない。
実際もうちょっと前提をつめなければ結論も出ないので、この辺で終了。

関連エントリ

suVeneのあれ: 「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応について はてなブックマーク数



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