アーカイブ

2006 年 11 月 30 日 のアーカイブ

ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義

2006 年 11 月 30 日



ブログに対する思いは人それぞれである。
その人が何を目的とし、何の為の手段としてブログというツールを使用しているのかは、多種多様であるという事だ。

ブログの目的というのは何かという考察を半年ほど前に書いた事があるが、今回はその中でも「自己表現至上主義」と「馴れ合い至上主義」を取り上げて書いてみようと思う。

*「自己表現至上主義」と「馴れ合い至上主義」の定義

説明するまでもないが、念のため簡単な定義をしておこう。

  • 自己表現至上主義とは
    • ブログが自己表現の為のツールであると同時に、「ブログで自己表現する事自体」に価値を見出す事
    • 自己表現の為以外にブログを使用する事を認めないほど、自己表現至上主義傾向
  • 馴れ合い至上主義とは
    • 書く内容や自己表現より、他人と繋がる事に価値を見出す事
    • 繋がりを重視するあまり、会話の流れを分断するような指摘などを認めないほど馴れ合い至上主義傾向

完全にどちらかの至上主義な人はなかなか居ないし、他の目的を兼ねて持つ人がほとんどなので、傾向としての定義とする。

* すれ違う文化

この二つの文化がすれ違いを生んでいると感じるのは、Yahoo! での記事転載機能においてだ。

まず、転載機能の主な批判として「転載機能の危険性(主に善意の転写)」「文責のなさ」「チェーン化」「二次転写・三次転写を禁止する矛盾」などがある。
そして、それと同時に「転載は自己表現とは言えないのでその価値を認めない」という主張する人が、自己表現至上型の傾向があると言える。

勿論、相手の価値観を認めないのは自由だし、個人の意思を表明するのも自由だが、そこで「すれ違い」だなぁと感じる。
何故ならば、転載を繰り返す人の中の傾向として「馴れ合い至上主義型」の人が多く含まれていると感じるからだ。
(感覚になるが、コメント欄などで「転載します」「これはひどいですね」「これはいい記事ですね」という一言のコメントが目立ち、中身よりもメッセージを残し互いに評価する事(評価される事)によって、繋がりを持とうとしているように見える)

この推測が正しいとすると、「自分の言葉で表現する事に意味がある」というメッセージの表明は、共感できる人には伝わりやすいが、「馴れ合い」を目的とする人々にはほとんど通じない。面白い記事や動画などを共有して繋がれるのに、「自分で書いた文章」を用意する必要性は少ないからだ。お笑いを楽しむのに自分で漫才をする人が少ないように。

もう少し言うと「どんなお笑いが好きか」という事でもって、ある意味「自己表現」しているとも言える。趣味や嗜好、コレクションの開示と似たようなモノである。「文章でもって表現する事」が大事かどうかは二の次になりやすい。

* 自分の言葉で語らない事に対する苛立ち

自己表現至上型とは少し異なるのだが、「努力推奨型」という価値観もある。
要するに「ボタン一つで転載していたら、力が身につかないので下手でもいいから自分の力でやったほうがいい」という価値観だ。これも、先ほどのすれ違いと同様に、相手には届かない文章である。
それは、相手が「努力をしない」とか「文章が読めない」という事を言っているのではなく、ブログに対する目的がそもそも違うからだ。
ブログ以外の場所だと、馴れ合い型の人も理解の為に多大な努力をしているかもしれないし、していないかもしれないが、その事はあまり関係ない。あくまでブログに対する価値観の話である。
俺はこの「努力推奨型」にはかなり疑問がある。
「目的によっては」簡単にできるなら簡単にすればいいし、ボタン一つで済むのならばそれに越したことはない。
(「目的がすれ違っている事」を意識していないから相手に理解する努力を促すのか、手作業でないと意味がないと思っているのかは定かではないが)
その簡単な動作によって、外部に不都合や迷惑が起こる(または因果がある)のならば、それは指摘すべきだろうけど。

* まとめ

前回の記事では、相手の価値観を否定しても水掛け論になりやすいという意見だが、今回のはそもそもすれ違っているという話だ。

前回の記事のコメントで
『モノゴトは、「動機」などどーでもいいよ、行動とその結果だけが大事なんだ、という話』
『「自己満足」とか「偽善」とか言って相手を非難すると、ものすごくつまらない話になる』
というのがあったが、「内面を否定するな」という事ではない。
あくまで、(簡単ではないが)検証可能である外面的な話と、思想や価値観が絡む内面的な話を切り分けて考えた方がよいという事だ。(俺もよく混同するが)

* 最後に

個人的には、「自己表現至上型」の人が頑張って主張する事により、共感者が増える事は好ましい。
何故なら、そのほうが面白いブログが沢山読めるから。
俺は人の反応や考えを見たり聞いたりする事が好きだが、大勢の人と馴れ合うのは嫌いというよりめんどくさい。

ただ、世の中を見渡してみると「馴れ合い」を良しとする文化の方が多数だと思う。
別にそれは悪い事だとは思わないし、あまり関係のない話なのだが、ネットの世界にもその波が押し寄せてきているのだなぁとは感じるのである。
携帯文化があって助かったといえば助かっているのかもしれない。

* 関連記事
suVeneのあれ: 何故 blog を書くのか その1
suVeneのあれ: 「善意」を「偽善」であると否定しても水掛け論
suVeneのあれ: ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義 – 補足と反応



Web・Net関連

投げ銭もらた

2006 年 11 月 29 日



人力検索以外でポイントもらったのは初めてなんだが、PageConcater面白いですってコメント付きで、とある人から投げ銭もらってた。
200ポイントも!

あざーっす!

作ったものが評価されるのは気持ちがよいものだね。
この200ポイントをうまく運用して億万長者になりたいと思います。

という訳で面白いモノがあったら、投資の為にもこのポイントを投げてみたいんだが、ブクマ以外でどうやって送信するんだこれ?

追記
送信するとこ、わかった。

つー訳で、どこぞの誰かは俺からの愛を強制的に受取る事になるかもしれませんのでよろしく。



Web・Net関連

はてブの被favが急に増えたんだが

2006 年 11 月 28 日



何ヶ月か同じ被fav数だったのに、ここ数日で10人ほど増えた。
こんなに急激に増えると、なんか警戒してしまうんだが。

ま、まさか、何処かの学校の授業で、「統合メディア論」のタグに次ぐ、「お気に入り」機能の講義があって、そのターゲットとして選ばれたとかか!



日記・散文・その他

[GreaseMonkey]ver.0.8.0 PageConcater ~ AutoPager対応

2006 年 11 月 28 日



毎回、全ページを読み込むのは重たいってリクエストがあったので、AutoPager対応した!
AutoPager対応ってのは、下のほうへスクロールしたとき自動で次ページをロードする機能の事。

コレによって、10ページだろうが100ページだろうが、順番に読み込むので遷移時に画面が固まるという事はない。
参考URLにあるのが 10ページだから確認してみてください。

今までのように、遷移時に全ページロードしたいって人は、ソースの中の
var isStepPaging = true;

var isStepPaging = false;
にすれば、いけるはず。(たぶん)

その他、ITmediaでうまく動作しないページがあったのでそれも対応した。

* 更新内容
ver.0.8.0 AutoPager対応

Script
ver.0.8.0 pageconcater.user.js

* 参考URL
定番アルゴリズムを徹底理解!:ITpro

* 詳細
suVeneのあれ: [GreaseMonkey]PageConcater



Programming ,

「善意」を「偽善」であると否定しても水掛け論

2006 年 11 月 27 日



最近の話だと、「しぬしぬ詐欺」(さくらちゃん臓器移植募金の話)や「ぬれ煎餅話」(資金難で電車の修理代の資金調達の為の話)、ネット上の話で「Yahoo!ブログの転載問題」(今回は自殺予告問題)などに伴って「善意」や「偽善」なども一緒になって記事になっていたりする。
興味があれば、いくらでもそのような記事に出会う事が出来るだろうから、関連記事は下のほうで適当に拾っておくだけとする。

最初に俺の募金や転載に関するスタンスを言っておくと、特定の誰か(何か)を救うための街頭募金などについては、募金する側は自己満足の割合が多いと思っているし、転載問題にしても、リンクで済むところを全文コピーして(Yahoo!内では転載元はデフォルトで許可状態になっているのだが)、同じ内容の記事がいくつも増えるのは無駄だし、邪魔なだけだと思っている。

ただ、今回の記事はそれらの問題点を挙げたいわけではなく、それらの反論記事や批判記事の中に「相手の善意自体を否定する」ものがあるのが気になる。

というのも、実行している相手が「善意」なのか「偽善」なのかは外部からは簡単に判断がつかないというのもあるが、そもそも相手の感情を否定しても問題の解決に繋がらないと思っているからだ。(哲学・思想的に「自己愛」や「善悪」に対して言及したいので、「募金・転載」はどうでもよいのならばそれでもよいが)

「善意の転載問題」に絞って話をすると、個人的には「転載する行為によって自殺を食い止める効果があるとは思えない」という事を論点にしたい訳だが、しばしば目にするのは「善意ではなく自己満足(又は偽善)である」という相手の内部にまで踏み込んで否定しようとする人がいるという事だ。
「善意だけで人は救えない」という問題点は、確かに存在するとは思うのだが、何でも一緒に否定すればよいという話ではない。

もちろん、相手の善意を否定する理由として、転載を実行する側の「善意でやっている行為に批判するなんて、言語道断」という意見が少なからず存在するのも事実である。
その論理に対して反論するには「善意でする行為を批判する事は許されるべき」と言いたくなるのも尤もな話なのだが、やはり「転載で自殺を食い止める効果」と「善意による転載問題」は(関連は深いが)切り分けて考えるべきで、相手の思想対決に応じなければならないという事はない。

他の問題に対する話も、上記のような「行為に対する、結果や手段への批判」と「思想に対する批判」を混同するのはよくない。
感情論vs感情論、思想vs思想、絶対的善悪の判断という内面に伴った議論は水掛け論になる事が多い。
(批判してはいけないのではなく、混同しないほうがいいという話)
(意図して思想対決(又は洗脳対決)に持っていきたいのならば、それはそれで効果的な場合もある)

という訳で、個人的な結論として「事実と行為とその予測される結果」のような外向的な話と、「善悪、偽善、善意、それに伴う人格批判に対する反論」のような内向的な話を相手のペースに従って一緒くたにしてしまうのは双方にとって対決姿勢が強まるだけであり、解決の糸口は掴みにくくなるのではないかという事である。

もちろん、冷静に問題点を指摘したり、影響範囲や結果の予測を立てたりして、淡々と批判している記事や人も多いので、それらの人には関係のない話だが。

追記 2006/11/27 21:05
ekkenさんから「例として挙げられている下方のリンク」と指摘があってから気付いたけど、以下にあるリンクはまとめサイトで検索引っ掛かったやつと、「混同している例」ではなく、この記事を書くときに参考にしたという意味です。(Mugiさんのは切り分けて考えようとしてると読んだ)
FrontPage – 死ぬ死ぬ詐欺 まとめwiki
潮風とロマンのふるさと銚子電気鉄道
ekken♂ : 転載機能によるログの増殖はスパムか否か
L.E.S.S. | ぶっちゃけどうなの、全文転載
ブログがスクラップブックになるとき – sugar pot
Mugi2.0.1 – 自分で書くということ



思想・心理・議論・対話