ソーシャルブックマークサービスといじめ - suVeneのアレ

ソーシャルブックマークサービスといじめ

無断リンクにまつわる何だかなぁって話って記事で、感じたことをそのまま文章化して、「いじめ」という単語を出してしまった訳だが、似たような感触を感じていた人もある程度いたようで、自分自身も考えるキッカケになった訳だし、それはそれでよかったのかもしれない。
今の知識が浅はかなままこれ以上「いじめ」について語るのは自分の首を絞めるようなものだが、ツッコミ待ちという意味と今後も考えたい問題だという事でもう少し書いておこうと思う。

結論から言えば、ソーシャルブックマークサービス(今回ははてブ)と、誰か一人或いは少数(今回は tinycafe氏)の構図は「いじめ」とは呼ばないと判断している。

根拠を述べる前に「いじめ」とは何かを考えなければならないだろう。

* いじめとは何か
前回の件が「いじめ」に似ていると感じた構図だが、一体それは何故なのか。
何を持って「いじめ」とするのか。
文部科学省の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」による定義を引用してみよう。

「1 自分より弱いものに対して一方的に、2 身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、3 相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」
文部省初等中等教育局中学校課「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」平成6年12月

他にもよく見かけたのが以下の著書の引用。

同一集団内の相互作用過程において優位にたつ一方が、意識的に、あるいは集合的に、他方に対して精神的・身体的苦痛をあたえること」
(森田洋司・清水賢二「新訂版いじめ」金子書房、1994年による定義)

他のいじめに携わる人々の著書や論文を読んだ訳ではないので浅学な引用で申し訳ないが、この定義には重要な一つの概念が含まれていると思われる。

それは「同一集団内」という概念である。
(文部科学省の定義については、「学級」を前提とされている)

定義をまとめてもしょうがないが、自分なりに重要だと思ったポイントをあげると

  1. 同一集団内であること
  2. 強者から弱者へ一方的であること
  3. 継続的であること
  4. 相手が身体的、または心理的苦痛を感じていること

が、「いじめ」の定義だと解釈している。

* 同一集団という定義の重要性
まず、ここが今回のポイントで、俺自身が「いじめに似ている」と思った点であり、また最終的に「いじめとは呼ばない」と考えた所だ。
単純に「多数に見える側から少数に見える側へ」嘲笑したりからかったりする事が「いじめ」に似ていると思ったのだが、それだと上記の条件のうち一部しか満たされない。
例え少数派が心理的苦痛があると訴え、それが認められたとしてもだ。
一般的に定義される「いじめ」とは、「同一集団内」で「継続的に」攻撃が行われる事を言う。
何故同一集団内でなければ成立しないかといえば、それは「同一の目的」や「目標(義務)」があるので簡単に抜け出せないという状況になりやすく、閉鎖的空間において逃げ場のない状態において発生する現象だからだろう。
そのような閉鎖的状況において、強者・傍観者・共犯者による、弱者への攻撃を「いじめ」と呼ぶ訳で、トートロジーになってしまうが。
例えば道を歩いていて、一方的に集団に襲われて身体的苦痛を負わされても、それは「傷害事件」や「恐喝事件」であり「いじめ」とは呼ばないという事でもある。

* 同一集団とは何か
「同一集団」とは何を指すのだろうか。
具体的に思い浮かぶのはまず「学校」だろう。いじめの事例や、事件としてよく耳にするのは「刑務所」もある。
他にも「家庭」「職場」「老人ホーム」「地域」などが思い浮かぶ。

いずれにせよ共通するのは、「そのコミュニティに帰属する事を義務」付けられていたり、「金銭的・身体的理由でそのコミュニティに帰属せざるを得ない」という事だ。

故に、同一集団とは「同一の目的(目標)を共有して集った仲間意識のある集り」であると考えている。
(同一の目的のない集りは「集団」とは呼ばない。仲間意識は(仲のよい)という意味ではない。)

* ブックマーカーは同一集団か
「ソーシャルブックマークという一つのサービスを利用しているユーザー」という括りで見てしまうと、同一集団に見えてしまうのだが、そのような括りでは先ほどの「同一集団」の定義から見るとあてはまらない。そもそも、ブックマーカー全体に「同一の目的や目標」などは存在しない。おまけに、炎上元の対象の人もブックマーカーへの帰属意識もない。

個別にブックマーカー同士のリアルなつながりや悪意を検証できたとするならば、一部「同一集団」と呼べる単位はあるかもしれないが、それはココでも言われているように、検証するのは困難である。

ネットイナゴ問題の難しさは、普通に見ればそれは確かに「イジメ」っぽいのだけれど、「あくまで個人で書き込みしてるだけ」という言い訳を簡単に否定することは出来ないという点にある。… 中略 …
イナゴ個々人が「思ったことを書いただけ」というのであれば、(説得力が無くても)嘘だとは言いきれない。
草日記 – 恐ろしいのは人の悪意ではなく、悪意の無いところにでもイジメ的状況が発生しうるという事ではないだろうか?(はてブの話)

(蛇足だが、引用元には『加害者がいないのに被害者がいる、という状況が、SBMなどの新たなシステムによって生み出される』とあるが、これについては SBM によって生み出された訳ではないと思っている。)

これが結論である。
「同一集団ではないブックマーカーという括り 対 少数」と言うのは、多数派と少数派の価値観の対立ではあるかもしれないが「いじめ」とは呼ばない。
これは、「2chネラー」などにしても同じである。はやりの言葉でいうと「ネットイナゴvs炎上元」という構図も同様に「いじめ」と呼ばないという事だ。
繰り返しになるが、単純に 多数派 vs 少数派 におけるネット上の争いは「いじめ」と同列にはおけない。(ただし気になる点はあるっちゃあるので後述する)

* その他
気になる点が二点ほどある。
(tinycafe氏に限った話ではなく、全般的に)ソーシャルブックマークと少数派の構図は、結論で述べたように「いじめ」ではなく「価値観の対立」と判断しているが、多数派による過剰な表現や悪ノリにより、少数派が「心理的苦痛を感じた」と訴え出た場合、法的にはどのように対応されるのかという点。
まず「心理的苦痛を感じたコメントなどのログ」や「心理的苦痛を感じているという診断」が必要になると思われるのだが、過去にそのような事例はあるのかという事。基本的に「脅迫・恐喝」や「名誉毀損」が認められなければ、訴えは却下されると思われるのだが、このあたりの問題はネットでの事例どころか、現実の判例すらまともに目を通した事がないし、勉強不足なので気になる。

二点目は、前回の記事に『“今のところは”ほとんどの場合において強制力を持たない』と挙げたが、近い将来ネット上で同一集団による何かが法的に義務付けられたり、実名の同一集団へのサービスがはじまったりすると想定すると、その時は「ネット上におけるいじめの問題」が再燃するのだろうなぁ、って事。

suVeneのあれ: 無断リンクにまつわる何だかなぁって話
suVeneのあれ: tinycafe氏とはてブの続き

*紹介していない記事でいじめ問題に関連していそうな記事(順不同)
rynoath – mind log ■この構図は何なのか?
草日記 – 恐ろしいのは人の悪意ではなく、悪意の無いところにでもイジメ的状況が発生しうるという事ではないだろうか?(はてブの話)
カナかな団首領の日記 – 「無断リンク禁止」と「はてブ」と「いぢめ」
此処録?
F’s Garage:なんかイジメっぽいね。
z0racの日記 – 「いじめ」は子供の行為である。

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コメント

  1. エントリ単位で読み捨てられるブロガーの悲哀

    「トップページ以外にリンクするな」というサイト管理人さんの主張のひとつに、自分のサイトがコンテンツ単位で読み捨てられてしまうからだ、てな物言いがある。しかしこれってどうなんだろうか?

     たとえば私が読み手だった場合を考えてみる。

     さあ、私はいきなりどこかのサイトのトップページ以外に降り立った。それがどこだかわからない。ここはいったいどこなんだ? まあとりあえず読んでみるか。

     てな感じで、着地点いったいを読み進む。で、「おお。この人のものの見方はユニークだな」と思ったら、すぐさまトップページへ移動して、サイト全体の品定めをする。

     しかるのちに価値アリと判断したら、RSSリーダ、または(ブログ以外ならば)お気に入りに登録する。反対に「つまらない」と思ったら、もちろんトップページになんぞ移動せず読み捨てる。

     結局、少なくとも私の場合は、トップページにリンクされていたかどうかと、コンテンツ単位で読み捨てるか否かはほとんど関係ない。要はリンクうんぬんじゃなく、その文章がおもしろいかどうか? なのである。

     特にブログはエントリ単位で読むものだ。ゆえにこの傾向はますます強くなるだろう。

     そもそも筆者の目論見通り、すべての読者がトップページに来たからといって、みんなが「1ページ目」から読み始めるとは限らない。パラパラとページをめくって各章のタイトルを一瞥し、「おもしろそうだな」と感じた第3章から読み始めるかもしれないじゃないか。

     いや私も芸術をたしなむ者の端くれとして、冒頭にあげたような管理人さんの気持ちもわからないではないのだ。

    「私のサイトはすべてのコンテンツが相互作用を及ぼしながら、全体でひとつの作品になっている。自分はそこまで計算して作っているのだ。だからトップページ以外にリンクされたりすると、すでにそれは私の作品ではなくなってしまう。そんなことは私には耐えられない」

     こう考える人もいるんだろう。

     だけどここはリンクの集積でできているインターネットであり、しかもエントリ単位で独立しているブログなのだ。

     自分でインターネットとブログを選んでおきながら、「トップページへのリンクを強制義務とする」というのは……「沖縄の大自然が好きだ」と言って沖縄に移住しておきながら、「家にヤモリが毎日侵入してくる。気持ち悪くて気が狂いそうだ。県は私の家

  2. 鳥新聞 より:

    いまどきリンクは自由だとか権利だとか言ってる奴はとても滑稽だと思う

    まあ、ブルース芸人の犬井ひろしが叫ぶ分には面白いのだけど、大真面目にハナから自由なもんを、まるで奴隷が人権を勝ち取ったかのような主張はウザイというより滑稽。 公的な機関や、影響力のある組織がリンク禁止してると、乗り込んでリンク禁止のポリシー…

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