世の中には、何事も「笑って済ませない」あるいは「笑って済ませることができない」人がいる。もちろん誰にだって「笑って済ませることができない事柄」というものは存在するだろうが、ここではわりと「すぐムキになる」人のことを指している。そんな人は「世の中生きづらい」と感じることが多いのかもしれない。
妙な空気発生機
およそ顔見知り程度の人間関係においては、大抵どうでもいい話が話題となっている。実際、話題の内容はどうでもよく、「言葉を交わしている」という事実にこそ意味があることが多い。そんな中に、何かといえば「笑って済ませない」人が混ざりこめば、「何故なのか」「それは違う」と、会話のテンポを分断するようなことをしてしまう。当然その場には、「妙な空気」が発生する。
そんなことが積み重なれば、周りからは「なんだか変わった奴」「空気の読めない奴」「めんどくさい奴」というレッテルが貼られてしまう。その結果、その小さな人間関係における周りからは距離を置かれることになるだろう。
分類として
「笑って済ませない」という意図した言動であれば、孤高に生きるもよし、または似たような価値観の仲間を探すもよしである。
ただ、問題となりやすいのは「笑って済ませることができない」場合である。その場合の自分と外部との対応について、大きく分類してみると「自覚症状の有無」「気の強さ弱さ」という軸があるだろう。
まず自覚症状の有無にかかわらず、気が弱い人であるならば、本心では「笑って済ませることができない」のだが、表面上は愛想笑いなどで何とか周りに合わせることになる。そうやって自分の感情を抑圧することにより、自分の価値観と自分の言動との不一致から、自分自身がすり減っていってしまう。
自覚症状が有って気が強い人ならば、その場では事細かに言及するのだが、周りとのギャップに自分自身を苛み、後悔する割には同じ事をまた繰り返すであろう。自覚症状がなく気が強いならば、ゴーイング・マイ・ウェイ、ある意味本人は幸せだろう。
真摯さゆえの誠実さゆえの
それらの人々の悩みはすぐには解決できない。同じ人間関係の中で過ごす限り、その苦悩は続くであろう。方法として簡単なのは、どこか他の価値観が合う集団へと身を移すことだ。ただ方法としては簡単だが、いろいろな制約からそれが不可能な場合は、その悩みとは付き合っていくしかない。
しかし、それらは悪い点ばかりではない。
「笑って済ませることができない」というのは、裏を返せば物事に対して誠実なのだ。言動に対して真摯なのだ。ただちょっとだけ、それらを感じたり表現するタイミングが周りとズレているだけなのだ。自分を殺すことはない。その真摯さを大切にせよ。その誠実さを貫き通せ。
相手は思い通りにはならない
勘違いしてはいけないのは、誠実さや真摯さは大切な価値観だとは思うが、それは相手に強要するものではないということを知ることだ。相手に合わせて自分を摩耗する必要はないが、同じ意味で、自分の価値観に相手を従わせることはできない。自分の価値観を受け入れて欲しければ、相手の価値観を受け入れてみるのがいい。
当たり前の事のようだが、それらはとても大切なことだ。