ブログ上のエントリや、誰かの話に対して「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応はよくあることである(俺もよくいう)。そして、その「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応は、合理的な解決という意味において一理ある場合も多い。
しかし、自分も含めて注意しなければならないのは、その反応の対象が「~~すれば(しなければ)よいのに」ということを理解した上で書いているのではないかということだ。または、どのようにして解決すればよいかというような視点で書いていないという可能性だ。つまり、自分の中にある葛藤や心理を聞いて欲しい、見てほしい、そしてできれば理解して欲しいという為の言語化である。
具体例を挙げると
- 人と話すのが恐い
- 〇〇のブログの内容が・△△のコメントの内容がむかつく
- 上司がむかつくし会社にもウンザリ
などという愚痴や心情の吐露に大して、
- 気にしなければよいのに
- 見なければよいのに
- 会社やめればよいのに
というのは、大概の場合において意味を成さない提案である事が多い。
よくある、「話を聞いてもらいたいだけの女性・具体的解決を提案する男性」などの男女論にするつもりはないし、これらの感想や提案を言うべきでないという話でもない。そうではなく、単純に論点がずれている可能性があるということである。読み手はその論点について意識したほうがよいのである。
ただ、難しいのは、単発のエントリからその背景を理解することができないし、もしかすると具体的解決策を求めている可能性もある訳だ。なので、書き手もパブリックな場所に公開する以上は、そのような自分の意図と違う反応があるのだという認識を持たなければならない。
結局、何が言いたいのかというと
愚痴を書いて共感をもらいたいだけであり、具体的な指摘や反論に対して憤慨するくらいならば、mixi などでプライベートモードで書くなり、アクセスコントロールするなりすればいいのに!
という、身も蓋もない話である。