よく俺はネット上の文章におけるコミュニケーションで、「何故ですか?」とか「○○が理解できない」という事を書くわけだけれども、それを「主張に対する否定」という意味と解釈されることがあるから、一応気をつけているよ、という話。
質問としての「何故」、否定としての「何故」
まず、「何故?」にも二種類の意味があると思われる。
それは、質問する側が、「自分が正しいと思う主張と異なる」と考える時に発せられる「何故」と、そうでない場合に発せられる「何故」である。
前者の例を挙げると、目上の人間が目下の人間(母から子や、上司から部下、など)に対して叱咤の意味で発せられる、「何故そんなことしたんだ!」「あなたのやったことが理解できない!」といったものがあるだろう。この場合の「何故」や「理解できない」には、明らかに「叱咤される側の方法は間違えていて、他に正しい方法がある」という前提がある故に、「何故そのようにしなかったのか、理解できない」という意味で発せられるのであり、そうしなかった理由を責めている場合である。これが否定としての「何故」である。
もう一方は、「10 + 10 = 100」という教え(主張)があったとして、純粋な疑問から、「それは何故ですか?」や「理解できない」というパタンである。これは、「10進数で考えれば 20 なのに、何か他に理由があって 100 になるのだろうか?」という、「唯一自分の考えが正しいとは考えていない場合」という意味の例だが、質問する側が「20が正しいに決まっている!」という意図があれば、前者のパタンと変わらないだろう。
文章では伝わりにくい、質問としての「何故」
どちらのパタンにおいても、「何故ですか?」や「理解できない」という言葉の裏には、「(Aだと思うのにBと主張しているのは)何故ですか?」のように、自分の方が想定する前提との相違があったり、全く相手の前提が分からない場合に質問するということがほとんどなのであるが、文章のみだと、それプラス、「自分(質問している側)が正しいと信じているのことと異なる」ゆえに質問していると読み取られることが多い気がする。リアルなコミュニケーションなら、まだどのような意図で質問しているのか読み取る情報が多いのだが、文章だと尚更分かりにくいのだろう。
しかし、その背景には「自分(質問される側)が言っていることは正しく、その前提は誰しも理解しやすいはずである」という思い込みがある場合、「理解しやすいはずの主張を理解しない」(質問を投げかけてくる)ということは、間接的に「正しくないといわれている」あるいは「否定されている」と考えるのかなぁ、とも思う。
というわけで
何度か対話したことのある人や、普段のエントリやコメント欄で他の人とのやりとりを見たことある人ならば、相手がどのように解釈する傾向があるかというのが分かるので、それほど気にすることもないが、初めてコメントする人や、質問する人に対しては、「あなたの主張を否定するつもりはないです」的な注釈をつけることがある。
俺が質問するときの、ほとんどの場合は、ただ単純に、相手がその結論に至るロジックや前提を知りたいというだけの意味であって、(明らかな事実誤認だと思うことはともかく)相手の主張を否定するといった意図はないことが多いから。
ただまぁ、その注釈が功を奏しているのか、神経を逆撫でしているのかは、もっぱら不明であるのだが。
コメント
[読んで書く]子どもの「なぜ」と大人の「何故」
suVeneのあれ: 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味 こちらを読んで、ふと思ったこと。 子どもはやたらに「なぜ?」「どうして?」と言う。 子どもにとっては、世の中にはどうしてだか、なぜだか分からないことがたくさんあって、それを知りたいと思うからだ
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