断片部 – Wake Up To 鬱蒼 – はコつ『モラルラフラフラ』についての返答を元に、文章の解釈についての考えを述べようと思います。
発言者の意図と違う解釈をした、というのは、発言者の意を酌めなかった、という点で間違いと言えるのではないでしょうか。私は多分、そう受け取ってしまう。『発言者の意図と違う解釈』は、『曲解』と呼ばれるものとは違うのでしょうか
断片部 – Wake Up To 鬱蒼 – はコつ『モラルラフラフラ』
まず「間違い」というのは、「正解(正しい)」という概念に対を成すものです。故に、主観的な「解釈」として「間違い」などなく、どれも「正しい」です。ただしそれは、主語が解釈した人である限りです。例を挙げると、
- 「発言者の意図は A」という記事に対して
- 発言者以外の人が「発言者の意図は B である」と言うのは「間違い」であり「曲解」です
- 発言者以外の人が、「私は発言者の意図を B と解釈した」というのは間違いではありません
(発言者の意図する A と、発言者以外の人が B と受取ることの「違い」があるだけです)
そもそも、発言者の言いたい事を出来るだけ正確に理解するべきである、という前提も違うのでしょうか。前提の理由は多分、意図と違う解釈をされると人は不愉快に感じてしまうので、誰かを不愉快にするべきではないから(そして対話もスムーズにいかないから)、正確な理解を心がけるべき、ということ。
断片部 – Wake Up To 鬱蒼 – はコつ『モラルラフラフラ』
個人的には同意します。しかし、理由は異なります。
異なる理由としては、先ほども述べたように、「解釈」が千差万別なことは当然の事であり、基本的に不愉快にはならないことが挙げられます。私が不愉快に感じるとすれば、「作者の意図は B である」という断定であり、それを決定事項のように語ることです。そしてそれは、デマゴギーです。
私にとって『出来るだけ正確に理解する』理由は、反復になりますが、あくまで議論・対話する為に相手の意図をなるべく正確に理解したいという意味です。
laddertothemoonさんに説明されるまで、「私が言いたかったのはそういうことじゃない」という指摘に凹む、という反応を予想もしなかった、そして説明ナシで反応だけ返された時点では何に凹んでいるのかも分からなかった、ということについて
断片部 – Wake Up To 鬱蒼 – はコつ『モラルラフラフラ』
これは違います。「分からなかった」のではなく、「id:laddertothemoonさんが凹むとは考えなかった」のです。それは laddertothemoon さんの過去のエントリやコメント、そして何度か対話した経験故の予測ですが、「意見の違いを指摘する」ことで「凹む」という推測はできなかったという意味です。全般において一欠けらも「理解できない」という意味ではありません。
私が元エントリで書いたような『道徳』を教えられた/感じたことはなかったのでしょうか。まるで「躾がなってない!」なんて言ってるみたいで角が立ちそうな聞き方ですけど、純粋に疑問なのです
断片部 – Wake Up To 鬱蒼 – はコつ『モラルラフラフラ』
『基本道徳』とは何を指すのかによって異なります。ただ、今回の件は、例えば私が id:runa_wayさんの記事を見て、
「id:runa_wayさんは、「躾がなっていない」と喧嘩を売りたいようだ」(勿論、例であって一切そのようなことは考えていません)
と解釈した場合、id:runa_wayさんがそれに反論すると私や周りの和を乱すと考えたら、「違います」と言わないことがid:runa_wayさんの『道徳』だというのであれば、そのような『道徳』は教わっていません。
そして今回私が laddertothemoonさんに対して言ったのは、「それは私の意図ではない」という意味であり、これを id:runa_wayさんを主語とした例に置き換えるならば、「id:runa_way は喧嘩を売りたい訳ではない。ただし、id:suVene がそのように解釈してしまうのはしょうがない」と表明するということです。ここで既に『基本道徳』に反しているのでしょうか。
例が、ネガティブな解釈でわかりにくいとすれば
「id:runa_wayさんは、id:suVeneの言動こそ日本の基本道徳だといっていると解釈した」
とでも読み替えてもらえばよいです。
前回、id:runa_wayさんの挙げられた
# 間違うことは悪いこと。
# 悪い点を指摘されたら(なぜか)嫌な気分になる。
# 出来る限り、他人に悪感情を感じさせず仲良くするべき。
# 間違いを放置するのも悪いこと。
断片部 – Wake Up To 鬱蒼 – モラルラフラフラ
について議論しようとするならば、一つ一つにおいて同意できる部分とそれ以外の部分について考察する事になりますが(嫌って訳ではないです)、そもそも今回の件はこの4つのどれとも反していないし、対立もしていないと考えています。ただ、
私が所持している基本道徳からすると、反論=間違いの指摘は、見逃してやる好意の欠如を示し、全て人格攻撃性を有しています
断片部 – Wake Up To 鬱蒼 – モラルラフラフラ
については、同意できる部分がありません。ましてや『基本道徳』などとは呼べないでしょう。
(id:runa_wayさんの人生の中の人間関係において有効であった道徳という意味で否定している訳ではありません)
上記までの意見について、異論・反論・思う事があれば、どんどん言ってください。不愉快にはなりません。
コメント欄を利用されても、記事を立てられてもよいし、勿論スルーするのも自由です。
以上です。