働くとは考えること、経営とは考える環境と元気を与えること - suVeneのアレ

働くとは考えること、経営とは考える環境と元気を与えること

≪考えろ教≫ は好きじゃないのだが、こと働くということに限っては ≪考えろ教≫ に入信せざるを得ない。(≪考えろ教≫ ってのは「≪思考停止≫ せずに 『考えろ!考えろ!考えろ!』」ってうるさい個人・団体のこと。≪思考停止≫ や ≪考えろ教≫ については、別の機会にしよう)

最近特に感じるのが、やはり仕事というのは「考えてなんぼ」だということ。

それは何故か。

それが人間の本質である「知恵」の源であり「価値」を生むものだから。

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そもそも「働く」とは何なのか

いろんな解釈や定義があるだろうが、個人的には「自分が、誰か・何かに貢献することを担う手段」というのが、働くことの本質のひとつだと考えている。

「誰か・何か」とは、社会であったり、顧客であったり、上司や部下や同僚・仲間であったりだ。
「貢献する」というのは、承認してもらうことが目的ではなく、相手に価値を提供するのを目的とすることだ。

そのようにして、人間という社会的動物は、何らかのコミュニティに対して自分の存在理由を見出してきた部分があるのであろうということである。

考えなければ価値あるものは提供できない

上記に述べたもを前提とすると、貢献するためには相手にとって価値があるものが必要だ。自分が価値あるものを提供するためには、なるべくどこにでもあるものでないほうがいい。

しかし、何も考えずその他大勢に混じっていて働いていては、どこにでもあるような成果しか出せない。ということは、そもそも考えなければ価値あるものは提供できないのだ。
(あ、誰かが考えた価値を実現するための労働力として「働く」のはどうなの、とかあるんだけど。あと、考えたからといって価値あるものができるわけではないのはアタリマエ)

最近こんな本を読んだ

申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。

カレン・フェラン 大和書房 2014-03-26
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by ヨメレバ

端的に言うと、「経営陣は、自分たちで経営方針を考えず、また、決断せずに、コンサルのツールや手法に乗っかるのをゴールとしているし、コンサルもそれをよしとしている。大切なのは考えるプロセスであり人である」という本だ。コンサルであった著者の体験を通じた事例を元に書かれており、大変おもしろく読めた。

それはともかく、組織を効率化するためには、ルールも必要だし、仕組も必要だ。しかし、それはあくまで手段であり、ルールや仕組を厳密に守ることを目的としてはいけない。

この本では、「戦略計画」「最適化プロセス」「数値目標」「業績管理システム」「マネジメントモデル」「人材開発プログラム」「リーダーシップ開発」など、いかにも ≪思考停止≫ しそうなキーワードを挙げて、これら引っさげてやってくるコンサルの言うことに盲目的に従うことに警鐘を鳴らす。

少しでも楽しいほうがいい

責任ある立場で「働く」というのは、決断の連続である。

決断というのは、沢山の仮説の中から、その時点で持ちうる情報と想像力などを駆使して、ベストだと思う選択肢を実践し検証していくという作業だ。

先の見えない闇のなか、危なげな明かりを元に方向を定め、ダメなら引き返し、また同じ作業を繰り返すというのはつらく感じることもあるだろう。だから人は「働く」ことにおいて ≪思考停止≫ に陥るのだと思う。

分かりやすい戦略や、分かりやすい前例や、分かりやすいルールや仕組や、上からの指示があれば、「考え」なくても、とりあえず「労働」は可能だ。

ただそれは楽ではあるが、果たして楽しいのであろうか?

自分はそうは思わない。

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