好きな対象を否定される時に感じる嫌悪感について(追記) - suVeneのアレ

好きな対象を否定される時に感じる嫌悪感について(追記)

昨日の続きでも書こうと思ったが、興味のあるエントリを読んだのでそれについて。

奥様、鼻毛が出ておりますことよ – 本当に好きで大切なものを守るために口を閉ざす。 はてなブックマーク数

ざっくりと要約すると

  • 音楽のとあるバンドが好きだ
  • 同じ嗜好を持つ人達と(蘊蓄を含む)話しをするのは楽しい
  • でも、「知識自慢」になるのが嫌いで、くだらない
  • 自分の好きなバンドをどんな形であれ批判されるのが嫌だ

ってな感じだ。

おもしろいと感じたのは、以下の2点だ。

  • 好きである対象について、知識量を競いたくなる心理
  • 好きな対象を否定される時に感じる嫌悪感

前者はどこかの心理学者なり分析なりにまかせるとして、後者について少し感じたことを書こう。
何故ならば、俺は大抵の会話や対話などにおいて相手が「好きだ」という対象について、自分が好ましくないと判断した場合、「俺は好きではない」もしくは「嫌いだ」と言うであろうから、「あぁ、俺は id:wakamura_you さんに嫌がられるタイプなのだなぁ」と考えたからだ。

このエントリに対する俺のコメントはこうだ。

2007年06月11日 suVene 価値観 『好きだというものを否定するのは、私にも好きでなくなって欲しい訳じゃない』というのは非常によくわかる。だが、『自分の価値観を表明したいのならば、私が好きだといった直後に…』というのは、通りにくい意見。
はてなブックマーク – 奥様、鼻毛が出ておりますことよ – 本当に好きで大切なものを守るために口を閉ざす。

まずは、これについて少し補足してみよう。

相手の「好き」を否定する為に発話する訳ではない

また、私が好きだと思っているものを、それほどでもないと思う人もたくさんいるのは当然だし、悪いことだとも思いません。

ですが、私が愛してやまないということを、どんな理屈で持っても否定するのは、正当性の問題でなく、感情的に嫌なのです。
奥様、鼻毛が出ておりますことよ – 本当に好きで大切なものを守るために口を閉ざす。

「感情的に」嫌になるのは理屈ではないし、過剰にケチをつけられれば嫌な気持になるのは理解できる。
(この場合、「過剰な」というのが要点になるのだろうが、ひとまず置いておく)

気になったのは、次の部分だ。

好きだというものを否定するのは、私にも好きでなくなって欲しい訳じゃないはずなのに、なんでそんなこと言うんだろうと、理解に苦しみます。
奥様、鼻毛が出ておりますことよ – 本当に好きで大切なものを守るために口を閉ざす。

理解に苦しむようだ。これは、あくまで俺個人の考えなのだということを前提に説明してみよう。

まず誰かと会話していて、ある対象について、好き嫌いの意見が別れたとしよう。(俺が「嫌い」側だとする)
その場合、その対象を好きな相手を卑下する為に「好きではない」と言う訳ではないし、ましてや id:wakamura_you さんが言うように相手に嫌いになってほしいから言う訳でもない

では、「理解に苦しむ」部分については何故なのか。

それは、こんな感覚だからだ。

俺: へぇー、俺はこれこれこーいう理由で嫌いなのだが、おまえは何で好きなの?
もしくは、
相手:へぇー、俺はこんなところが好きなのだが、何でおまえは嫌いなの?
(好き嫌いの立場はどちらでもよい。仲のよさにより表現が異なるのは、ご想像に)

このように、そもそも「否定」ではなく、意見や価値観の違いの表明であり、そしてその理由はお互いの自分とは違う視点との意見交換でしかない。

とまぁ、ここまでの話しはある程度距離のある人との会話か、愛しすぎていない対象について会話、自分の根源に関わらない話しをしている場合なのだと思う。

一旦置いておいた、「過剰な」の境界

結局ここがポイントなのだろう。
例えば、「カレーが好きか嫌いか」についての会話で意見が別れたとしても、そうそう嫌な気分になる人は少ないだろう。
しかし、「おまえの恋人はデブだから嫌いだ」とか「おまえの子供は生意気なので嫌いだ」などのように言われれば、怒らないまでも、気分を悪くする人を想像することは難しくない。
現に最近も「母親を冒涜された」と怒っている人をみた。これは相手の発言内容の意図と、それに対する解釈の仕方(愛するものへの批判)という点で齟齬があり、感情的になってしまうのはわかる気もする。(それに対する正当性は別問題は別だが)

気をつけなければならないとのは、その指摘されたことが「事実かどうか」は関係なく「嫌いだ」と言われること即ち「否定された」と感じる人もいるのではなかろうかということだ。
(事実でありコンプレックスがある部分であれば違う怒りもありそうだが)

俺自身も、先ほども述べたように(ネット上などを含む)『ある程度距離のある人』に言われるのは平気だが(だって関係ないから)、身近な人に(例えば親や友人)愛するものを否定されるのは悲しい。

ちょっとまってくれ。続きを書きたいが、寝むいので寝る。
今日の夜にでも書く。(たぶん)

追記 2007/06/11 21:08

ん、でだ。
追記したところで、誰が読むのかわからんが気持ち悪いので書いておこう。
新しい記事 があるが、特に言及がないので、個人的なまとめとして書くこととするか。

繰り返しになるが、結局「好きな対象を否定された時の不安・嫌悪感」というものは、「自分が好きな度合い」と「他者との距離感」という軸があり、主にその二つのバランスによって感じるものなのだと思う。
(その嫌悪感は「痛み」と同じで、人によって様々)

そして、その不快感・嫌悪感は何故生まれるのか?

……

うーん。

ごちゃごちゃ書いては消してを繰り返したが、うまくまとまらないのでやめた。
少なくとも、「相手の価値観を否定することで、アイデンティティを確保する輩」の話は今回は関係ない。

最後に気になった点について。

自分の価値観を表明したいのならば、私が好きだといった直後にはやめて欲しいものです
奥様、鼻毛が出ておりますことよ – 本当に好きで大切なものを守るために口を閉ざす。

ブクマコメントにも書いたが、これは無理だと思うのよな。比較的、仲の知れ合った人ならともかく。

何故なら、これは「相手にも好きになってほしい」とまではいかなくとも、相手の価値観より自分の価値観を優先して欲しいといっているようなものだし、「好き」であることが「嫌い」に優先されるという理由もない訳だし。
これって結局、相手の「嫌い」だという価値観の否定だと思う訳だ。
まぁ、だから
『自分が本当に好きなものを私が口に出さなければ、私の大切なものは守られるような気になっていきました』
となっているのかもしれないが。

どちらにとっても損失だ。

なんだか余計に文章が錯乱してきたな。

とりあえず、相手がどんな言論や行動をしようが、自分の信念や尊厳や価値観を踏みにじることはできないし、ましてや汚すこともできない。

もうええわ。おわり。

関連エントリ

奥様、鼻毛が出ておりますことよ – 本当に好きで大切なものを守るために口を閉ざす。 はてなブックマーク数
奥様、鼻毛が出ておりますことよ – そして、頭痛がひどい。。。

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コメント

  1. わかむら より:

    >新しい記事 があるが、特に言及がないので、
    あ、いや、書きかけに言及するのもなんだと思ってて待っていました。
    しっかり読み砕いてからお返事します。

  2. suVene より:

    あ、催促ではなかったのですが、考慮いただきありがとう。

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