質問の背景や意図を説明できていない問合せは相手を苛立たせる - suVeneのアレ

質問の背景や意図を説明できていない問合せは相手を苛立たせる

20150527

以下の記事を読んだ。

この記事にはいくつか気になる点がある。

  1. 質問の意図が伝わらない責任を一方的に受け手(回答者)に求めていること
  2. 「ズレた回答」をする人への対応策が循環論法的なこと
  3. 「質疑応答コストを減らす」ことが「有意義な会話への近道」としていること

以下、記事の要約と解釈に挟んで、上記違和感を解説していく。

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引用記事の要約(というか目次)

引用記事は、以下の構成でまとめられている。

  1. 質問には属性がある(「Yes/No」or「5W1H」)
  2. ズレた回答は相手に負担をかける
  3. ズレないためには自分の役割を意識しよう
  4. ちゃんと答えないやつはネガティブ印象になる

違和感の説明

『質問には属性がある(「Yes/No」or「5W1H」)』

質問の属性というのは、大きく分けて以下の2種類です。

  1. 「Yes or No」で回答できるもの
  2. 「5W1H」を問うもの

質問の属性を見極めない回答は相手を苛立たせる | サイボウズ式 質問の属性を見極めない回答は相手を苛立たせる | サイボウズ式

穿った見方をすれば、無茶な二者択一を迫る質問だったり、相手をコントロールや叱責する為の質問だったりもある訳だが、ここは「文面通りの裏のない素直な質問」と解釈しておくことは可能だ。

従ってここは「前提」ということでさらっと流しておく。

『ズレた回答は相手に負担をかける』の中の違和感

最初の違和感である、「1. 質問の意図が伝わらない責任を一方的に受け手(回答者)に求めていること」の違和感は、この段落にある。

このズレは会話のスピードを下げ、無駄な脳内変換作業を引き起こすため、ストレスとなります。

この人に何かを聞いても、一発で欲しい回答が来ない。つまりコミュニケーションコストが余計にかかっている、という状態は不快感につながり、相手に悪印象を与えてしまう結果にもつながりかねません。

質問の属性を見極めない回答は相手を苛立たせる | サイボウズ式 質問の属性を見極めない回答は相手を苛立たせる | サイボウズ式

ここは事実と著者の解釈が混じっているポイントだ。

まず、「会話のスピードを下げ」というのは事実だ。ローコンテクストな環境や、質問の背景や意図が正しく伝わっていない場合においては、そうでない場合と比較して会話のスピードが下がるのは当然のことだ。

しかし、それが「無駄」であるかどうかは、フェーズやコンテクストに依存するだけでなく、同じ時と場所に居たとしても、主観によって判断は変わってくる。(一方は「有意義なすり合わせ」と感じたり、一方は「無駄なコスト」と感じるということ)

仮に「無駄なコスト」ということが両者にあったとしても、その質問の意図が伝わっていない原因は、質問側が十分に説明責任を果たしていない可能性もある。

だが、この記事では「質問の意図を読み取らない回答者が、質問者に不快感や余計なコストを与えている」回答側へ一方的に責任を押し付けている。

『ズレないためには自分の役割を意識しよう』の中の違和感

ここには、次の違和感である「2. 「ズレた回答」をする人への対応策が循環論法的なこと」がある。

では、意図とズレた回答をなるべく避けるため、どんなことに注意すればよいかというと、ポイントは2つです。

  1. 会話に出てくる単語からヒントをつかもう
  2. いま、自分が期待されている役割は何かを意識しよう

質問の属性を見極めない回答は相手を苛立たせる | サイボウズ式 質問の属性を見極めない回答は相手を苛立たせる | サイボウズ式

例えば以下のようなシチュエーションがあったとしよう。

質問する側として回答者ヘ意図も背景も充分に説明している(と判断する人が多数)にもかかわらず、ある特定の人物だけがズレた回答をする。

個人的な前提と解釈を述べると、

 自分の役割や相手の質問の意図や背景が理解できる → (ゆえに) → 適切に回答できる

ことのほうが多いのではないかと考えているので、ズレた回答をする人(NOT「適切に回答できる人」)は、「自分の役割や相手の質問の意図や背景が理解できていない」状態、という論理だ。

つまり、「役割を理解できてない状態」の人間に向かって「役割を意識しよう」というのは、「出来ないことを出来るようになろう」と言っているに等しく、「出来ないのは何故ですか?それは出来ないからです。だから出来るようになりましょう」という、循環論法的なアドバイスにしかならない。

『ちゃんと答えないやつはネガティブ印象になる』の中の違和感

引用記事のまとめの段落だが、ここには最後の違和感「3. 「質疑応答」コストを減らすことが「有意義な会話への近道」としていること」がある。

無駄なコストはストレスを与えます。逆に、コミュニケーションコストが低い相手との会話というのは心地よく快適なものです。そして心地良く快適だ、と思ってもらえていると、相手の本質に迫りやすく、より有意義な会話への近道となります。

コミュニケーションコストを節約し、テンポの良い会話を意識することでコミュニケーションが楽しくなり、相手との良好な関係も作りやすくなるのではないかな

質問の属性を見極めない回答は相手を苛立たせる | サイボウズ式 質問の属性を見極めない回答は相手を苛立たせる | サイボウズ式

ここは、著者の価値観なのでそれ自体を否定するわけではない。ただ、「長年付き合いのある気が置けない友人とのひととき」ならまだしも、ビジネスにおいては個人的には全く賛同出来ない。

というのも、多様で異なる価値観を融合して、新しいモノを生み出していくことの価値を問われる現代において、「コミュニケーションコストがかかる」ことを「無駄なコスト」で「不快」なものと考えるなら、この記事も含めて異なる価値観や前提が異なる人とは議論も対話もコストが不快だということである。

それはまさに、よく指摘される「グローバルな世界からみたとき日本人のよくわからないムラ的要素」である。また、そんな指摘がないにしても、ローコンテクストな人はストレスで不快であり、ハイコンテクストな人としか良好な関係を結べないというのは、排他的で単なる仲良しグループな関係でしかない。

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