「私はそうは思いません」
という一文を、文脈を無視して切り出した時、あなたはこれを「否定」と捉えるだろうか。
勿論、文法的には Don’t であり否定であることはわかりきった問題なのだが、個人的にはこの一文のみを切り出した場合、「否定」の意味よりも、何か「異論」があるのだと解釈する。異論といってしまうと堅苦しいが、「私は別の意見だなぁ」くらいの感じだろうか。しかしながら、
「そうは思わない」=「同意できない」=「否定」=「対立」
という概念を直結して解釈する人というのは意外に多い。会話の内容が同一価値判断上における排中律な関係にある場合は、もっともな考え方だが、日常的会話においても同意を得られないだけで、何だか不快に思う、少なくともいい気分ではないといった解釈をするということだ。こないだのエントリ のコメントにおいても、そのように(やや無理やり?)解釈できるモノがあった。
CoffeeSugar 何のためにそれをするのか考えて、対立を避けた方が双方にメリットがあるのであれば何も対立を選ばなくても良い気がする。「率直であること」は別に至上命題ではないと思う。
はてなブックマーク – 対立を避けることが至上命題の人々 – suVeneのアレ
「率直であること」が至上命題でないことには、個人的には同意する。注目すべき点は「対立を避ける」と「率直である」を対比させた形でコメントされているところだろう。(こないだのエントリ で引用したエントリや内容については、「相手の意見に No をいう」という意味合いが強い部分もあるので、今回の話に当てはまらない箇所もあるが)
id:CoffeeSugar さんの意見がおかしいというわけではなく、この考え方が日常的・一般的会話にもよくみられるのではないか、ということだ。
何故同意が得られないと嫌な気分になるのか
「否定」或いは「同意しない」ことの表明における嫌悪感や不快感などのエントリは、今までに何度か書いてきているので、今回は「何故嫌な気分」になるのか、を書こう。
と、思ったのだが、それも過去のエントリを読み返してみると同じようなこと書いているので補足というか追記してみよう。
単純に言えば、「相手に自分の意見が尊重されていない」と感じるのではないかということだ。つまり、自分の意見を否定するという言動の中に、人の意見をさえぎり「俺(私)の場合は」と、我が我が精神をむき出しにして、他人の意見には一つも耳を貸さない人物像をイメージするのではないかということだ。(当たり前だが全員そう思ってるはずなどとは考えてない)
そのように、常に自分本位の人間に対して不快感を抱くという理由ならば理解できるので、「そうは思わない」という意見に対して不快感を持つ人の気持ちもロジック的に理解できる。
どのように伝えればよいか
では、そのようなイメージを持つ人々に対して、「私はそうは思わない」を伝えたい場合、どのようにすればよいか。まぁ、無理して伝えなくてもよいのだけれど、なんやらかんやらでそのような状況がきた場合、どのようにするのか、だ。それは、、、
どうすればいい?