前回の記事でのコメント欄で laddertothemoonさんに返信しようと思っていたら、ちょっと長くなってしまったので記事にする。laddertothemoon さんのコメントについては全文引用するのも気が引けるので、興味のある人は参照してください。
自分自身の「りんごの実とムラ」に対する見解を述べておくと、どのように読んでも個人的解釈において誤読は原理的にありえないと考えている。あれは、そういったムラがあり、そこに住む人がいて、そこに旅人が現れたという話だからだ。ただ、それだけの話なのだが、個人的に伝えたいことや伝えることによって聞きたいことなどはある。そんな話を書こうと思う。
以下 laddertothemoonさんへ返信
自分はこれは前の記事「抑圧と弱者について考える」の続きというか関連なんだな、と思いました。
Posted by laddertothemoon
前の記事の関連といえば関連です。この物語の「ムラ」というのは、個人の目からみたセカイであり、自身の価値観を育んだ土壌です。
「住む村は自分で決めればいいのに」というのはまったくもってその通りだと思います。私もこれに賛成です。もしくは、「人の目を気にせず好きなものを食べるのが個人的に望ましい」というのが答えです。物語にもあるように「外部から見れば」「りんごが好きでないといけない」というのは、全く馬鹿らしい(と感じる人もいる)価値観であり、りんごが嫌ならば他のものを食えばいいのです。自分が納得できるものを。
前回二つの質問をしました。
- 「住む村は自分で決めればよい」「旅人になるという選択もまた然り」というのは、この物語の誰に向けてのメッセージですか。(想定していなかった可能性もありますが、少し考えて頂ければ幸いです)
- 「それは自分で選択できることなのでは?」「自分にとって居心地のいい村を探せばいいのに」とありますが、個人の選択は常に自分自身からも自由であると考えますか。
それに対する答えが
- 「不本意・つらい・イヤだ」と思いながら生きている人、に向けたんだと思います。
- 個人の意思に反する外部諸事情の中においても、それでもなお、個人の選択は個人の意思に基づいたものであると考えます。
Posted by laddertothemoon(引用者による一部抜粋)
とありました。そして最後に
ただsuVeneさんの返答から推測するに、これは前の記事での
「問題なのは、その共同体が抑圧されている者にとって唯一無二であったり、その共同体から他の共同体へ移る為のコストが非常に高い場合である。」
の場合のお話なのかな、と気がつきました
Posted by laddertothemoon
と仰っています。
私が伝えたいテーマ(そしてできればその後他の人の意見を聞きたい)の一つがそこにあります。説明をする為に、少々物語を拡張します。
仮に、「りんごが好きではないのに我慢して好きなふりをしている村人」即ち「不本意・つらい・イヤだと思いながら生きている人」を A というパターンとしましょう。A というパターンのムラビトがとる行動は幾つかあると思います。
B 周りを気にせずにみかんを食べる
C 他のムラへ行く
D りんご好きと戦いながらみかん好きの連中と一緒になる
E 我慢してりんごを食べる(隠れてみかんを食べたり)
簡単に思い浮かぶ例をあげるとするとこれくらいなのですが、上に挙げた例ほど個人的には望ましい結果になると今のところ考えます。しかしながら、その行動をとる時に障壁となる心理や状況や生い立ちがあるということが、説明したいことです。
まず、B のパターンについて書きます。例えば簡単な例を挙げてみますと、laddertothemoon さんは昆虫を食べますか?いや、別に食べてもいいんですけど、要するに生まれ育った文化では食さないけれど、他の文化では普通に食べたりするような例という意味です。犬でも、カエルでもへびでも蜘蛛でもかまいません。そして、仮に laddertothemoon さんが、それらのものが大好きだとします。何故か子どものころからふと口にして以来、おいしくてしょうがない。遊びに出かけてはとって食う。食っても罪にはならないですし (衛生上の問題はありますが)。で、それを家に帰ってからも両親に昆虫料理をねだったりします。しかし両親は、(怒ることはないかもしれませんが)ダメだと仰るでしょう。せめてお弁当の一品にと、それらのものを持っていっても、周りからおかしなやつだと思われます。
自分が好きなものを好きというだけで、周りから奇異の目を受ける。そこで抑圧が働きます。まだ自我の育成が未熟な時に周りから奇異の目で見られるのはとてもつらいことで、なかなか耐えれるものではありません。そこで、「どうしても昆虫が食べたいけれども我慢して他のものを食べざるを得ない」。大人になってから選択する価値観ならば、そういう食べ物の専門店などは探せばあるでしょうけども、子どものころから変な目でみられてきた人は、必ず「罪悪感」(自分が昆虫が好きなのが悪い)や劣等感(コンプレックス)という意識になりますから、「周りを気にせず食えばいい」というのは、理屈ではそうですが、その体に染み付いた罪悪感や劣等感を乗り越えなければなりません。(昆虫というのはあくまで例で、ようするに肯定的ストロークを十分に得られなかったと感じる環境であるということです)
C のパターンについて書きます。すぐに思いつく障壁は、身内の体が不自由であるとか、愛する人がりんごが好きであるとか、自分自身の体が不自由であるなどです。当然、laddertothemoon さんの意見のように肉親共々全てを捨てて他のムラへ行くことも可能です。
しかし、laddertothemoon さんが一つ抜け落ちているなと感じる視点があります(伝えられなかった部分でもあります)。それは、「住む村は自分で決めればいい」というのは、しっかりと自己肯定できる自我が確立した人が前提だということです。そして、自己肯定できる自我が確立するというのは、己の資質にもよりますが、多分に周りの環境が関わります。周りから常に否定されたり、又は認められていないと感じて育った人や、周りの期待に答えようと頑張りはするものの、周りの期待が強すぎて挫折した場合や、過保護な親の元で育った場合、虐待されて育った場合など様々な例がありますが、自己肯定できない理由は必ずしも本人のせいだとは言い切れない事が多々あります。物語にも出てきた((自分が悪いんだ))という価値観が染み付くということです。
私が laddertothemoon さんに問いたいのは、その人たちに向けても尚「住む村は自分で決めればいいのに」と考えるか否かです。前回問いかけた意図はそこにあります。「自分ならば、住む村は自分で決める」ではなく、『「不本意・つらい・イヤだ」と思いながら生きている人、に向けた』というのが気になるのです。前もって断っておきますが、これは善悪の問題ではありません。「なんて冷たい人なんだ」と勝手な断罪をしたいという話でもありません。「そんな見ず知らずの人のことまで考えてられない。ただ単に自分が良いと思う方法を伝えただけだ」というのも、当然ありえるからです。
2つ目の質問の意図を言います。「個人の選択は常に自分自身からも自由であると考えるか」という問いに対して、『個人の意思に反する外部諸事情の中においても、それでもなお、個人の選択は個人の意思に基づいたものであると考えます』との答えですが、私はそうは思いません。この物語のりんごやみかんというのは当たり前ですがメタファです。それらは、常識・文化・価値観(賞賛する対象・卑下する対象など)に置換されます。私が昆虫を食べないのは、私の意志か。屋内で靴を脱ぐのは、私の意志か。無宗教なのは、自由を至上とするのは、人付きあいが苦手なのは、人前で喋ることが苦手なのは、……。
論点として「自由意志の有無」を問うている訳ではありません。差し迫る環境(不本意にせよ)において、選択する意志はやはり自由である。と考えても差し障りないです。問題はその環境において「自己肯定できないという環境」「多大な罪悪感・劣等感を解消できない環境」しか選択肢がない人もいるという話です。
とまぁ、このように物語を拡張して私は何を言おうとしているのか。それは、「だから、かわいそうだから保護しよう」という話ではありません。「世の中は不平等だ」という話でもない。世の中が不平等・不条理・不合理なのは当たり前の事実だから。
私が知りたいのは、そのような環境で自分が育ったと考えた場合、どのように解決しようとするのかということ。自分の立場に置き換えるのが難しいとするならば、例えば自分が愛する人(恋人とは限らず、親でも友達でも別の何かでも)が、そのような劣等感・罪悪感に怯える人であったら、どのように声をかけるのかということです。
前回の記事では、さすがにそこまで書いてなくて、色んな価値観があることや文化や常識による抑圧があったり、それに対抗する勢力があったり、どこにも属せない人がいたりという事実を書いただけです。もちろんあの物語に出てこない人物も沢山います。
はてブコメントとして個人的に
# 2007年01月31日 z0rac z0rac 政治, 社会, 倫理 中心に居るとその他が見えない。その他も大枠では中心の内だったり。/リンゴ食いながらミカンの味を想像してみる。ただ、見たこともない果物の味は想像もできない。
# 2007年01月31日 mind mind ココロザシ|悩み, スジガキ|落ち, セカイ|if場|フレーム, 6 社会系, 5.ゲーム論, 4.Equivalent(同類), キャラ(擬人)型 ――昔々、フルーツ村にパイナップル妖精おじゃパインがおった。果物に飽きたおじゃパインが良い匂いに釣られやって来たのは、ベジタブル村… //みかんとりんごならORが取れるけど aと~aとが矛盾対立している場合は…><
あたりが気になりました。z0rac さんのコメントで言っていることは、まさしく伝えたかったことです。意識された抑圧ではないところで、常識や価値観や構造により、もがき苦しむ人がいるということです。そしてそれは中にいるからこそ構造が見えない。mind さんの言う「aと~aとが矛盾対立」もそうです。対立しなくてもいいのに、抑圧から解放される為のアイデンティティとして対立せざるを得ないという心理もあります。
それを踏まえて、この物語に対してどのように接し、どのように他の登場人物に声をかけるのだろうかと、とても気になります。というか、できれば教えて欲しいです。一言でも二言でも。なので、laddertothemoon さんを含む他の人のコメントを頂いた皆さんの意見も大変参考になります。
これはひとえに、私にはかける言葉が見つからないからです。