「多数に非難を受ければ一方的に非難を受けた側が悪い」は真か - suVeneのアレ

「多数に非難を受ければ一方的に非難を受けた側が悪い」は真か

一方的な非難を陰謀説で考えるのは筋が悪い – プログラマーの脳みそはてなブックマーク数 を読んで。

一番引っかかったのが以下の部分。

「一方的な非難を受けた」のであれば、それはおおよそ「一方的にそのエントリが誤っている」のだと思う。

一方的な非難を陰謀説で考えるのは筋が悪い – プログラマーの脳みそ はてなブックマーク数

この考え方はとても怖いものだと感じる。

最初に読んでくれる方に断っておくが、引用元エントリーがどのようなパターンを想定して、引用した部分を述べたかは定かではないので、引用元エントリーへの直接的な批判ではない。あくまで、引用部分を一般化して考えることの危険性を感じる、という話である。(現にそういう人はよくいるので)

まず、「正しさ」「誤り」「客観的」の定義自体をどのように置くかにもよるが、「大多数であること」が「正当性」を担保する、というのは客観的事実として真偽を判断する為の十分条件ではない。

有名な話で言えばガリレオの天動説などもそうだが、戦時中に戦争反対して非国民扱いされた人や、在日や部落との結婚を周囲の「大多数」から批判されたが結婚した人や、ある宗教が8割以上を占める国の中で、異教徒扱いされた人などなど。それぞれ、客観的に正しいとされてる意見が否定されたり、歴史的に振り返って正しかったとされた人が否定されたり、法的に正しいことをしている人が否定されたり、思想・信仰の自由的に非難されたりという状況である。

最初以外の例は、もはや客観的正否などない訳だが、とりあえず「多数派」だから「正しい」という思い込みは、「少数派」を押し殺しかねない危険な思想だと考える。特にイデオロギーの衝突などの場合にこの論理を振りかざすと、泥沼の抗争になることは免れない。

引用元エントリーに対する直接的な批判ではないといいつつ、またもや引用元のブログから抜粋させていただくが、結論を導き出す為のプロセスを見てみよう。

正しい主張をしたのに「これはひどい」と言われるのはどのような原因が考えられるんだろう?

  1. 読んだ人がみな馬鹿で主張を理解できず「これはひどい」と言った
    • (著者略)
  2. 読んだ人がみな結託してネガティブコメントを書いている
    1. 読んだ人がみな叩きたいがために群がってきたネットイナゴである
    2. 読んだ人のうち、イナゴではない人もいるかもしれないが、ブックマークを付けた人はネットイナゴばかりだった
  3. 読んだ人のうち最初の数名がネガティブコメントを書いたため、叩く空気ができ、同調圧力で皆が叩いている
    1. (著者略)

どれもかなりトンデモな主張じゃなかろうか。

一方的な非難を陰謀説で考えるのは筋が悪い – プログラマーの脳みそ はてなブックマーク数

と、結論が「トンデモ」なので仮定が間違っていると導き出している訳だが、個人的な観点でみると「トンデモな主張じゃないか」という推定に少し飛躍を感じる。

「(著者略)」とある部分は、私の目から見ても無理筋な気がしたので同意できるのだが、2-1. 2-2. に関して、そのような状況は「炎上」と呼ばれる場所でよく見かけると感じるが、読者の方はどうだろうか。

理由としては、まず「祭り」や「炎上」というのは、叩きたいが為、或いはその場の状況を楽しみたい為に、人が人を呼んで特定のブログなどに対して集まってくるという状況が「祭り」を加速させる。その意味で、2-1. は、全体のページビューに対して、かなりの割合で叩きたいが為に集まってきた人物であるともいえる。

「面白半分で見に来ただけの人もいるのではないか?」という考え方もあるが、そうだとしても、わざわざ「叩きたいが為に集まってきてコメントしている人々」がいるなかで、明らかに少数派意見であり、そのような人たちと関わりあうことを前提にして、あまりよく知らない炎上元著者の為に擁護や反論のコメントを書く人がどれほどいるだろうか。その意味で、2-2. もやはり、「トンデモ」だとは考えにくい。

話がだいぶずれてきたが、引用元のエントリはあくまで「はてなブックマーク」に限った話をしているのかもしれないし、そのへんはよくわからない。しかし、このような論理をもって、冒頭でも述べたように、『引用部分を一般化して考えることの危険性を感じる』というのが、個人的に書き記しておきたい事柄である。

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