ありがちなテーマを考える機会があったので、他の場所に書いたことだけども、こちらにも掲載。文体はちょっと変更。
「歌いたい唄」つまり、自分の欲求に即した行動。「望まれる唄」これは、周りから期待される役割に即した行動。この両者が一致すれば、そんなに幸せなことはない。ただ、拘っている部分があるからこそ、「ズレ」が生じてくるものだ。
前者は、どちらかというとアーティストでティックだ。表現したいものを表現する。我々はある意味人生において自己表現していかなければならないので、アーティストである部分も必要だと思う。また、日本の物語においては、周りや世間がどうあれ、自分の信念や理念を貫き通すというのは、美学だと表現されることも多い。
しかし、見方によってはある意味わがままな選択だ。周りの期待を裏切って自己実現を目指すわけだから。
一方、後者は社交的だ。しかし、下手をすると八方美人になってしまったり、自分の欲求とのズレからストレスを感じてしまったり、挙げ句の果てにはアイデンティティを失って、途方に暮れてしまう可能性すらある。
この問題の合理的な解決方法は、その個人の状態によるのだろう。どちらか一方に偏るわけではなく、どちらも実践しつつ、自分の”こころ”とのバランスが取れる領域を探し当てねばならないということだ。
しかし、人生は永遠ではないので、どちらを選択し、どのように配分したとしても、「本当にこれでよいのだろうか?」という疑問は、死ぬまで途切れないことだろう。
その過程こそが人生だとも言えるのだが、それだと一般論として終わってしまうので、最後に個人的な意見を述べておく。
俺は、どちらかというと「歌いたい唄」を歌うべきであり、やや配分を傾けるべきなんだと感じる。もし、その唄を周りが望んでいないならば、名残惜しくても、その「周り」の環境を変える必要があるだろう。逆に、「周り」からあなた自身の元から離れていくことも考えられるだろう。最悪の場合、殆どの人から受け入れられず、孤独にさいなまれるかもしれない。何事も全てを得ることはできないのだ。
ただ、やはり最初に言ったように、人生はある意味自己表現の場だと認識しているので、そのような事実も踏まえて受け入れていくだけの感性が必要なのかなぁ、と考える。
日本かぶれしているのかもしれない。海外は知らんけど。
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テーマとしてはありがち。 / “歌いたい唄を歌うべきか、望まれる唄を歌うべきか – suVeneのアレ” http://t.co/fUHITvs8
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