私的制裁 - suVeneのアレ

私的制裁

元々、口が達者だと言われるような子どもだった。
理屈・屁理屈・ルール・善悪を問わず思ったことを口にする子どもだった。
神経質すぎる子どもでもあった。
5歳前後にして、髪の毛が抜けて10円はげができるほどに。

小学校にあがる前に引越をした。
それまでの近所の友達とはお別れをし、新しい場所での生活が始まった。
幸い同じような年齢の子供は近くに沢山いたので、遊ぶ友達はすぐにできた。

しかし、子どもというものは時として残酷なものである。

ある日、1歳~3歳上の子ども達に家に呼ばれた。
その家の両親は留守だった。
そこで人生1回目の私的制裁を受けた。
つまり、リンチというものを経験した。
新参者であり、生意気でもあるその子は目障りだったのであろう。
同時にそれは、信じるものからの裏切りという意味でもあった。

その時の記憶は朧げである。

覚えているのは、ソファ、音量の大きいテレビ、凭れかかったタンス、そこにいた年上の男2~3人、その家の住人である姉妹2人、終らない時間、無抵抗であれば危害が小さくて済むかもしれないという希望、痛がる演技をする自分。

何度も蹴られた。
普通に殴ったり蹴ったりしていては面白味がないので、タンスに凭れかけさせ、ソファの上から何度もジャンプして蹴られた。呻き声を漏らすと、声を出すなと言われた。小学校2~3年生ともなると多少知恵がまわるようで、顔は殴ったりせず、腹や背中や足などを集中的にやられた。
その頃の一つ以上の歳の差による、体力差は圧倒的だった。
ただただ、耐えるだけだった。

いつのまにか私的制裁は終っていた。
男どもは帰ったのか、その場にいたのかは覚えていない。
多分、いなかったように思う。
既に泣き止んではいたが、泣いた目が腫れていたので、親にばれる危険性もあり、すぐには家に返してもらえなかった。

姉妹と取り残され、居場所がなかったので、音量の大きなテレビをショックで放心した振りをして眺めていた。
本当は意識はハッキリしていたが、この場では“放心している振り”“弱っている振り”をするほうがよいのだと考えていた。
彼女らは、“ショックで放心した振り”をみて信じたようだった。
そしてたまに囁きあった。

まるで、幼き我が子を連れ、子どもは分かっちゃいないという思い込みで、子ども自身の話や育児に関する悩みを相談しあう母親達のように囁きあった。

そんなことはないのに。

自分の話をどのような心証で話をしているのかくらいは分かっているし、聞いているし、考えているのだ。
ただそれは、“聞いていない振り”“理解していない振り”“何も考えていない振り”をするほうがよいのだという判断のもとで行っているだけなのに。

それが、“子どもらしい態度”なのだから。

その後、どういう経路でかは記憶が定かではないが、私的制裁の事件はすぐに明るみになった。
父親がひどく怒って怒鳴り込んでいたような気がするし、相手の親が謝罪にきていた気もするが、どちらもあまり覚えていない。

その中で唯一記憶に残っていることがある。

事件が明るみになった後日、窓から外を見ていると、当事者の姉妹が通りかかった。

だから、笑って手を振った。

何故あんなことをされた後に、笑って手が振れるのか?
それは、謝りにきてくれたのだから、これからもまた前のように一緒に楽しく遊べるのだと思っていたからだ。
しかし、姉妹はこちらの想像とは全く意に反した対応だった。

相手は憎らしそうにこちらを睨んだ後ぷいっとよそを向いた。

何故その場面だけが鮮明なのか。
あの憎悪の目を向けられた瞬間に感じた気持ちは一体なんだったのだろうか。
悲しみ?怒り?恐れ?孤独?
うまく言葉で言い表せないが、“なにか”を感じたのは確かである。

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