「教育」とは「気づき」を与え「行動」させること - suVeneのアレ

「教育」とは「気づき」を与え「行動」させること

この世の中、教える人にしても、教えを請う人にしても、「教育」を、抜本的、根本的、本質的に勘違いしている人が相当多い。(俺定義からみて)

まず、「教育者」と聞いて(わかりやすい例として)思い浮かぶのは、学校の先生や、塾の先生だ。習い事を経験したことがある人は、その先生かもしれない。会社の先輩などもある意味そのような立場になりうるだろう。

いずれにしても、俺が今まで過去にあった「先生」あるいは「教育者」と呼ばれるものの多くは、「教育 ≒ 指導」と勘違いしているバカモノが多かった。いや、「生徒」すらもそれを受け入れていた。

確かに、「指導者」という一面はある。ある基準から見て、間違った方向に進んでいる教え子を、自ら道を示して導くことも必要だろう。ただ、それに必死になって、「少しでも道を踏み外さないように目を光らせること」に躍起になり、満足気にしているのは、教育者として愚の骨頂だ。

では、世の中の教育者の何がダメか。

それは、「教」に関しては(マニュアルや教科書があるので)それなりだが、「育」に関しては、からきしダメなところだ。いや、ダメどころか、ほとんど考えてないのではないか?そんな輩が教える立場にあるということが、そもそもダメなのだ。

本来、教育というのは、教え子が最終的に「自ら考え行動する」ことをゴールとすべきだと思う。そういうゴールが明確でないから、教えたことを教えたままにしかできないような、応用のないものが育つ(というのか?)のだ。

では、どのようにすれば「自ら考え行動する」ようになるのか?

簡単だ。「自ら考え行動せざるを得ない」ようにするだけだ。「行動」とは、即ち何らかのインセンティブを持たせるということにほかならない。最初のうちは「与える」必要があるかもしれないが、最終的には「そのインセンティブの意味」を「気づかせ」るのである。

上記を前提にすると、「全て教えてやる」「俺が導いてやる」という考えが、いかに愚かか理解できるだろう。

まぁ、教育者だけでなく、教えを請うものにしても、最初から最後まで依存しまくりの人間もいるので、教育者だけを責めることもできないが。

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コメント

  1. suVene より:

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  2. suVene より:

    教えるのは簡単。育てるのは難しい。 / “「教育」とは「気づき」を与え「行動」させること – suVeneのアレ” http://t.co/0OxSHAO3

  3. Paris より:

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