先日、とあるネット上の友人と話をした。
それはこのような話だ
彼はリアルの友人と懐メロの話をしていて、
そこから何故懐メロが大した曲ではなくても心地よく聞こえたり、
いい音楽だと聞こえるのかという話に発展した。
そして彼はこう解釈したらしい。
「懐メロを聞くと過去を思い出さざるを得ない。
そして、過去とは二度と戻れないものである。
現実逃避ではないが、振り返る事はできても
再び手に入れる事のできない環境や感情。
それを無視するかのように流れる周りの状況。
そうした、喪失感にも焦燥感にも似たような
駆られる思いがある日常の中で、懐メロを
聞いてる間は、ほんのひと時でも忘れられる
からではないか」
要約してる事もあり、個人的解釈も多分に入っているので
これが全てではないが、ここでの話は懐メロではなく
喪失感や焦燥感に焦点を当てて話をしていた。
話の最後のほうは眠くなって寝たんだが ^。^;;;;;
この話をしてる時、彼は自分の言わんとする事が伝わるかどうかを気にしていたが、
確かに文字にすると伝わるかどうか気になるな。言葉でさえ微妙なところだ。
時間は平等だ。
平等であるが故に無常だ。個人の都合では待ってくれない。
そんな事は当然なのに、だからこそ、
人は過ぎ去った二度と戻れない過去を振り返っては悲しい気持ちになる。
時間が勝手に自分を取り巻く状況を過ぎ去っていき、
相対的に自分は進んでいる事になるから焦る。
自分が時間が過ぎ去るほどの速度で進んでいる実感はないのに、だ。
しかし、俺は思う。
“現実逃避ではないが”と彼は何度か断っていたが、
現実逃避などとは露ほども感じなかったし
その焦りは全然ネガティブな発想ではないと。
確かに、過去にばかり囚われそこから逃れられなくなれば
現実逃避以外の何物でもないだろう。
だが、彼は普段、少なくとも表面上はそんな事をおくびにも出さない。
それは着実に前進している実感があるからかもしれないし
または、何かを始めようと前を向いてるからこそ感じる焦りだと思うから。
そんな彼にはこれで戦ってほしい。
さて問題です。彼とは誰でしょう?
あたっても何もあげません!
コメント
そいつに言ってやれ!
それ、余裕で現実逃避だよって。
テーブル装備してる外人いかちい
彼が素手でも普通に暴漢が逃げるぜ
やはりそうか…