タイトルは少々誤解を含む言い方だが、正確には「相手が望む事に答えられたかどうかという結果」が全てだ。
事の発端はこの記事。
「答えと解法、先生がこのテストで見たかったのはどちらだと思うか。数学で大切なのはプロセスなんだ。答えなんてただの数字でしかない。君の解答は解法の内容が乏しかったんだよ」
私はこの言葉を聞いて大切なことに気付いた。テストの本質は時間内にいかにして
自分をアピールできる解答を書くことができるかということなのではないか。
痛いニュース(ノ∀`):答は合ってるのに×。先生どうして? 「数学で大切なのはプロセスだ。答なんてただの数字でしかない」
この先生の回答は適切とは言えないと思う。
何故ならば、先生が望んだものは「理解力のテスト」であり「ただの数字である答え」から理解力が判断できなかったというに過ぎないのであり、そこを「大切なのはプロセス」で「答えは大切ではない」というような回答は誤解を招きかねない。というか、誤解を生んでいる。
『テストの本質は時間内にいかにして自分をアピールできる解答を書くことができるかということなのではないか』
俺は違うと思う。
テストの本質は「何がテストされているのかを見抜くこと」である。
(学校におけるテストの大半は理解力である事が好ましいが、受験の為にはそうも言ってられないのかもしれない)
もう一つ誤解を招きそうな記事を見かけた。
だから、テストというものは「答えを出す」ものではなく、与えられた問題から自分の知識から最適な情報を取り出しそれをいかに当てはめることができるかだと思っている。
304 Not Modified: 数学はプロセスが9割
これも、「何がテストされているか」によって答えは異なるので、「「答えを出す」ものではなく」とは言えない。
テストする相手が「答えだけを求めて」いれば、どのような方法であっても「答えをだけ出せ」ばよい。
解法や手段などは二の次である。それでテストクリアだ。
とはいっても、観点によりどちらとも言える場合もある。
「テストする主体」から見たら、先に述べたように「テストしているもの」に答えてもらえれば終わりなのだが、「テストされる主体」から考えればそうとも言えない。
そういえば、私もサイト論を書いてきた中でいくつか質問を出してきた。そしてすべてにおいて、その質問に答えることよりも、答えるときに何を考えたかが大事だと言い続けてきた。元記事でいう「数学で大切なのはプロセスだ。答なんてただの数字でしかない」という考え方が染み付いてしまった私には、人が作った問題はすべてその意図を汲み取る癖がついてしまったのかもしれない。それを生徒に伝えるにはどうしたらよいか。生徒に問題を作らせることも、一つの答えになるのではないかと私は思う。
304 Not Modified: 数学はプロセスが9割
これは、「テストされる主体」からの観点だといえる。問題を解くのに必要な力は「理解力」か「解法・答えを索引する能力」そして、「問題を見抜く力」であり、それが大切だといっているのだと解釈した。その意味で、問題を作ってみたり、答える時に何を考えたかというのは重要なポイントだろう。
ただ、これは「テストする主体」に必ずあてはまるとは限らないと注意しておく事が必要だ。
引用元の記事は、「数学」に限定しているが、これは「テスト」と「答え」という状況において一般的な話だと思う。
相手が「答え」を求めているのに、「この様なプロセスを踏んで、もう一歩で答えでした」というのはほとんどの場合認められない。
「もう少しで答えがでるはずだったが、惜しくも結果がでなかった」
なんていうのは言い訳以外なんでもない。相手はプロセスなどどうでもよく、答えさえあればいいのである。
(「テストされる主体」から考えれば次のステップに活かす事が出来るので、マイナスばかりではないが)
要するに、「何が大切か」というのはその時の状況によって変わるばかりか、視点によっても変わる事を認識しておかなければならないという事。
そこを勘違いすると
数学はプロセスが9割といえるのは、まなめさんに「2割の計算力」があるからで、私には電卓やエクセルが無ければどうする事の出来ない世界だ、という事を知っている。
勿論その事をもってして「数学という世界にプロセスが重要ではない」とは言わない。
言わないのだけれどなんだか違うと思ってしまう。
・・・ 略 ・・・
数学という分野においてプロセスは大切なのかもしれないけれど、一番大切なのは「計算間違いしないこと」です。プロセスが9割と言い切れるのは、計算間違いをしないという前提条件に立てる人の言うことで、そうじゃない人には通用しない戯れ言なんですよ。
煩悩是道場 – 数学はプロセスが9割の学問か
というような事になってしまう。
「なんか違う」のは、相手が求めているものが「プロセス」ではなく「答え」だったというだけ話だ。
そして、「数学という分野においてプロセスは大切」なだけではななく、自分(テストされる主体)にとって大切なのはプロセスだという話であり、「一番大切なのは「計算間違いしないこと」」は相手(テストする主体)にとってだ。
もちろん、相手の求める事に答える事が自分にとって大切な場合も多々あるが。
何だか二つの記事の観点がずれている気がする。
(id:ululun さんの記事のほうは、電卓やエクセルがあれば答えが出せるのであれば、それはそれでプロセスとなりえる。常に計算間違えするのならば、解法を提示して計算間違えしない手段を選択すればよいだけである。)
コメント
数学はプロセスが9割
数学はプロセスが9割(304 Not Modified) 人は、ある事柄を「理解」するときその事柄を自分が既に持っている知識に照らして何らかのマッチングを取って「解釈」するものだと思っている。その通りだと思う。 というかこの記事で言わんとしてる事の大半には同意。 何となく自分..
そもそも数学とは?
コメント欄に書いてみようかと思ったが、トラックバック。
suVeneのあれ: 結果が全てです
本当にそうだろうか??
ちょっと違うなと思ったので私なりの見解を書きます。
まず、タイトルにもしましたけど数学
つまりあれだ
ならマークシートはもうやめろってことだ
テストの本質とは
昔の読売新聞で「数学のテストで正答を書いたのに×をもらった」という中学生の投書が載り、それが2chで取り上げられていた。 「答えと解法、先生がこのテストで見たかったのはどちらだと思うか。数学で大切なのはプロセスなんだ。答えなんてただの数字でしかない。君の
テストの種類によっては「本質はそこではないので『何をテストしているのか』を出題者が回答者にあらかじめ知らせておくべき」という場合がありそうですね。
一連の記事をみていて、以前読んだ以下の本の内容が思い起こされました
G.M.ワインバーグ,D.C.ゴーズ著,黒田純一郎監訳,柳川志津子訳
「要求仕様の探検学 設計に先立つ品質の作り込み」
ISBN4-320-02352-8
3.あいまいさの発生源(p.25~)