超パーソナライズ - suVeneのアレ

超パーソナライズ

全体の嗜好性を基にしたランキングは母体が膨らむほどに衆愚化と呼ばれるようになり、次第にシステムはパーソナライズの方向へ進んでいく。システムのパーソナライズは個人の嗜好を先読みし「コレはどうですか」「アレはどうですか」と何もしなくとも目の前に差し出してくるのだが、その差し出された情報の選択率はわずか数パーセントに過ぎない。

わずか数パーセントだったパーソナライズされた情報は評価するごとにその精度は増していき次第に情報の選択率は上昇してゆく。システムから献上される情報以外に自分で情報を探しに行こうとすれども効率化された状態に慣れきった私は自分で情報を探しに行くというあまりにも非効率さに辟易し次第にその歩みを止めてしまう。情報の選択率は80%を超えた。

今やシステムから差し出された情報は評価するまでもないほどに私の嗜好を十分に満たす内容を提示してくれるのだが効率化され怒涛のごとく押し寄せる情報を全て吟味する時間はなくなってゆき差し出された情報のいくつかを取りこぼすようになってしまったのだが、それでもシステムは「コレはどうですか」「アレはどうですか」と容赦なく私に情報を消化するよう促してくる。私の情報処理能力はパンク寸前だ。

取捨選択はシステムの側にあり私はそれを処理するだけの物質となりその処理能力は差し出された情報を消化するに至らない。いっそのことシステムを捨ててどこか遠くへ逃れてしまえばよいのだけれどもシステムが提示する情報は十分に私の嗜好を把握しており否定したところで自分に嘘をつく事が出来ない。私は私の意思によって取捨選択していたつもりがいつの間にかシステムが取捨選択していただけでなくその取捨選択された情報すらも十分に処理できていないままに日々を過ごすただの木偶に成り下がる。

これが超パーソナライズ

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コメント

  1. 超々パーソナライズ

    suVeneさんが超パーソナライズというエントリーをあげられていたのでその更に先を想像。 効率化され怒涛のごとく押し寄せる情報を全て吟味する時間はなくなってゆき差し出された情報のいくつかを取りこぼすようになってしまったのだが、それでもシステムは「コレはどうです

  2. 極パーソナライズ

    超パーソナライズという記事と一連のトラックバックが面白い。 全体の嗜好性を基にしたランキングは母体が膨らむほどに衆愚化と呼ばれるようになり、次第にシステムはパーソナライズの方向へ進んでいく。 私は私の意思によって取捨選択していたつもりがいつの間にかシステム

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