――― 周りの人が「戦え」「頑張れ」「負けるな」といった。その期待に答えようと君は、常に戦って、頑張って、負けないようにしてきた。でもそんなアナタに言いたい「たまには休んでもいいんだ」と。「つらいなら逃げてもいいんだ」と。逃げるのは恥じゃない、負けるのも恥じゃない。そりゃ、その時は恥ずかしいかもしれないが、そこはゴールでは決してないから。大切なのは「勝ち続ける事」じゃないから。たとえ逃げてたとしても、負けたとしても、その経験は絶対に消えない。君の血となり骨となり、君自身を育ててくれる。それに、君はいつも周りが敵ばかりだと錯覚しているようだけど、そんな事はない。君の味方が少なくともここにいる。
――― ネガティブなコメントがつけられて少し嫌な気持ちになった。本当はそんなつもりじゃないのに、誤解され、誤読され、レッテルを貼られて罵倒された。でも、そんな気持ちは文章には出さないように気をつけてきた。そんな文章を読んだ読者の人が嫌な気持ちになって欲しくないから。だから平気なフリをする。そんな事をしているうちに、ネガティブなコメントがあっても気にならなくなってきた。私は皆の為に書いてるんじゃない。納得し、共感してくれるたった数人の為に書いているんだって思えるようになってきたから。だから、ネガティブなコメントをつけられて悩んでる人がいたら、その事に気づいて欲しいし、その為の文章を書いて欲しい。そうすれば、きっといい文章が書けるはず。
うぜえ。
こういう文章がうぜえ。
ウザイなら読まなきゃいいんだが、たまたま目に入ってくると、ひたすらイラっとくる事がある。
上の文は、まったくもって俺のヘタっぴな創作の文章だが、平然とうまい文章でやってのけるやつもいる。
この「イラっ」っとくるのは何が原因だろうか。
「他人の為に」という文章を不特定多数に向けて発してるところが嘘くせーのか?
綺麗な言葉を並べただけの、芝居がかったところが嘘くせーのか?
自己犠牲、自分の弱さを肯定する姿勢、相手の弱さをとことん指摘したあとで見せる包容力。
そういう、わかりやすいモノにすぐに群がる人人人人人人人。
俺にはどうも自己愛をひた隠しにしているように見える時がある。小手先のテクニックに見える時がある。「いい人」と賞賛されたい為のパフォーマンスに見える時がある。自己欺瞞に満ちた文章に見える時がある。共感を得たいがための汚い感情の吐露に見える時がある。わかりやすいキーワード「大切なのは」「人として」「弱さ」「愛」「幸せ」「謙虚さ」「絶対に」「あなたの為に」etc. etc.
しかしまぁ落ち着いて考えてみれば、それらが本当にそのような欺瞞に満ちたモノであろうと無かろうと。
俺が「イラっ」っとする必要はない。全然ない。これっぽっちもない。
普段はそうでもないんだが、たまにな。
羨ましいんだろうか?妬みだろうか?綺麗なモノを素直に表現して、それを素直に受け取れる人への羨望なのか?
なんかそれらも違う気がするんだが、それくらいしか思い浮かばん。
まぁ、そういうひねた受け取り方しか出来ない俺のほうに問題があるんだろうけどな。
「個人に向けた暖かいメッセージ」を「人目のつくところに晒してしらっとしてる姿」
コレ最強。