思いついたら書くという事 - suVeneのアレ

思いついたら書くという事

blog を徘徊する時に思うのだが、どこの記事も似たり寄ったりなのが多い。

同じ内容が多いという意味ではなく、ある事柄に対して、あっちでは「賛成」だとか、こっちでは「反対」だとか、あるいは「傍観」で「人それぞれだ」という訳知ったような意見もあるのだが、扱っているテーマが変わっているだけで、なんとも同じことの繰り返しというか、ワイワイ言いたいだけというか、発展性がないというか、なんだか虚しくなってくる。
ある時は「web2.0」について、ある時は「トラックバック」について、ある時は「中絶」について、ある時は「コミュニケーション」について。

もちろん、自分自身がそのようなサイトばかりを重点的に巡回しているから、そのような意見が目に留まりやすいのだろうし、その他大勢の読む人にしろ、書く人にしろ似たような事をやっていて、その時に話題になっているテーマや単語や事象に触発されて、自分の意見を表明したくなるのだろう。
他人の意見に目を通して、自分自身どう考えているのか整理し、それを文章化し、その文章がまたほかの人への考える契機になるのだから、必然といえば必然である。

先入観によるバイアスがかかっている事も否めない。
例えば、何か珍しい事柄や言葉を最近知った時に、今まで目にした事もないと思っていたことが、意外と世の中でその事柄や言葉がありふれていたりするように、自分の意識にのぼるからこそ、その事象が目に付きやすいという事が。

それに対して、一つの事柄を追求しているサイトもあるんだけれども、余程そのテーマに対して興味があったり、自分にとって魅力のある文章でない限り、熟読する事はない。

この様に、流行になっている(話題になっている)テーマばかりに対してその場では言及し、さも意見があるような文章を書いてはみても、そのテーマに対して言及したいという事が目的というよりは、「(自分が関わっている)ブログ界隈において、自分も何らかのつながりを持ちたい」というのが、上位の目的としてあるのではないかと思う。

結局、語るテーマはなんでもよく、その時話題になっていて、自分が何か思いついたら文章にしているというだけで、中身がない。(読み取れないだけかも)

何が言いたいのだか自分でもよく分からないが、「じゃぁ、見るのやめれば?」って話に終着する気がするんだが、まさにその通りで、最近は流行りのテーマを扱って言及しているようなサイトは見ることが少ない。

ただ、これが自分の中で普遍的な事柄かといえば、そういう訳でもなく、周りがワイワイ言っているようなテーマについて、自分もなんだか言及したかったり、いろんな人の意見を読んでみたかったりする時もある。今はそうじゃないってだけの話なのだ。

自分の気持ちの持ちようで、面白かったり面白くなかったりするのは当然だし、そんな事で世界の流れは何も変わらない事は承知しているのだけれども、この様な「疎外感」を感じたりする人は多いのだろうかと、ふと気になって書き連ねてみた。

「疎外感」といっても、人間や、周りのブログの住人から“人為的”に疎外されているという訳ではなく、何か大きな力が蠢いていて、その中で踊らされている(もしくは好んで踊っている)というような、“疎外”である。

人、人、人の洪水、行列の中で、みんな何かに向かって歩いているのに、その中で独り立ち止まってしまったような。
熱狂的に応援するサポーターの中で、ふと独り何を応援しているのか分からなくなったような。
狂信的な儀式の中で、何を信仰しているのか分からなくなってしまったような。

いっその事、闇雲に騒げれば、もしくは気づかない振りをして自分を納得させながら、流れに身を委ねる事ができれば、どれ程楽なのかと思うのに。

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コメント

  1. より:

    今はどうなのかしらんけど、リネージュのプレイ日記が流行ったときは、ほとんどどれを見ても同じテーマ・同じ文体だったのが印象に残っているなあ

  2. アル子 より:

    スさんトマホーク

  3. より:

    スさんオキテッ。

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