ちなみに、私は息子が赤信号でわたっている人を見て「何故あの人は赤信号で渡っているのに、僕は待たなきゃいけないの?」といわれたら、「あれはダメな悪い大人だから、ああいうダメ人間になっちゃいけないよ」と答えています。
こにの壺焼 – えっけんさんへ
記事の趣旨とは全然関係ないのだが、この一文がとても気になった。(考えるキッカケとして)
確かに、「赤信号を渡る」という事は厳格な意味で罪があるだろう。
しかし「罪があるならば悪い大人でありダメ人間」なのだろうか。
罪を償えば「ダメ人間」じゃなくなる?少しでもルール違反をすれば「ダメ人間」?
気になったのは、法律・法令・規則などの成文化されている以外の「暗黙のルール」などを破って、独自のルールを実行しようとする人物を見た時にも同じような発想をするのではないかという事だ。
要するに、「空気」のようなルールを破った時に、「あいつはダメ人間だから」という発想に繋がらないかという事だ。
赤信号を無視してでも行わなければならない要因の可能性。赤信号を無視する事で発生する不都合。赤信号を無視した事により発生する罰則。
そんな些細な問題に全て付き合って考えて話し合う事は不可能なのかもしれない。
そこで手っ取り早く、ルール違反と罪を明確に指摘する訳ではなく人間を否定する。
個人的にとても気になる文だった。
コメント
[その他言及]子どもの素朴な疑問からたどり着くところ
http://zeromemory.sblo.jp/article/1792172.html ↓ http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20061125/p3 ↓ http://d.hatena.ne.jp/sivad/20061127#p1 で最終的に http://www.eonet.ne.jp/~like-a-flowing-r/psychology1.htm この流れが自分としてはとても有意義だった。正直
私も子どもがいるので赤信号では必ず子どもと待ちます。その間
車がこなければ赤信号で渡る人もいますが、子どもには、渡っている人は自分で責任を持って行動しているから、その人の問題であり、私の子どもは母親の私が責任を持って赤信号では渡らないと教えています。あの人は悪い行動をしているとはいうべきではないと思います。だれだって間違いを犯してしまうことはありますから。
@メアリー
今回の文脈に、「子ども」を添えるならば、年齢にもよりますが、仰るとおり社会的な決まりごとを教える必要や、子どもの行動に関して責任を取る必要がありますから、そこに異論はありません。
ただ、「子ども」を抜きにすれば、私は『あの人は悪い行動をしている』と考えるべきだと思います。『だれだって間違いを犯してしまう』ことは、免責にはなりませんので。
では、「悪い行動」とは、何をさすのか。つまり、「絶対的」な悪さではなく、「法の下」において、現行悪い行為とみなされている、ということだと思います。