「どうでもよいこと」について 3つのパターン - suVeneのアレ

「どうでもよいこと」について 3つのパターン

毎度の事ながら検証した訳でなく感覚の話で申し訳ないが、「どうでもいいのだが~~」という言葉で綴られる文章における意味についてちょっと感じた事を書いてみよう。

俺も最近「どうでもいいこと」について、簡単に触れたが

記事において「どうでもいいけど~~」「~~だよね、どうでもいいけど」といっているのは、「どうでもいいと思いたい」場合が多いように思う。
まぁ、どうでもいいけど。
suVeneのあれ: 「ブクマコメント」を見て「記事を読まない」事は思考停止か否か

この時はちょっとネタ的に触れただけで深く考えていなかったのだが、ここ最近「どうでもいいこと」について見かける記事の観点が同じ視点からの事象を言い換えただけに見えるので、自分なりに整理してみようと思う。
まず、「どうでもいい」と述べられる時にある背景は大雑把に分けて 3つくらい思い当たる。

  1. 本当は「どうでもよくない」のに、興味があると思われるのは悔しいので「どうでもよい」と言ってしまう。(意識、無意識纏めて)
  2. 本当に「どうでもよい」が、何らかの意図を持って話題にあげる。
  3. 中身については「どうでもよい」が、その中身によって起こる現象や状態や影響について興味があり分析を加える。

順を追って考えてみよう。

* 本当は「どうでもよくない」のに…
この例がどうも目に付きやすく不様な場合が多いので、それに対する言及ばかりを見かける事になる。
そして、「スルー力」って話で終ってる事が多い。

この例について述べていると思うのはこのあたりの記事。

命題その8:ある時事ネタ「○○」が存在する時、「○○には興味はないので触れない」「○○はどうでもいいが」とわざわざ書く人は○○をスルー出来ていない。
不倒城: ブログ観測者問題・追加。

某かについて「どうでもいい」と言いつつもあーだこーだとエントリを書くよりも,何も書かない方がその対象をどうでもいいものとして世の中から切り捨てるのに効果がある。
断片部 – 甘くておいしいおイモだよ~ – あえて言及しない勇気

自分がどうでもいいと思っているものはウェブにおいて言及しないほうが世に広まらないからいい選択だよ、という話として読んだ。自分のポリシーもそうなのだが、プロパガンダ手法の戦術としてもうちょっと考えてみた。
ARTIFACT@ハテナ系 – 本当に「どうでもいい」ことなら言及しないほうがいいのか

まぁ、どの記事にしろ、「スルー力」について述べた記事なので(2つ目3つ目はちょっと違って「手段」としての「スルー」の話だが)、1つ目の例に限定してあるからそれはそれで当然であり、それに対する言及もやはり同じ視点であるのはまた当然か。
この例に関する言及記事は下のほうにまとめてあるので、興味があれば適当に目を通してもらうという事で、ここでは深く追求しない。

ただ、気になるのは「本当にどうでもよいなら、スルーする(または意識に上らない)」というコメント。
これは必ずしもそうは言えないと思うのだが、そのあたりは 2個め以降の例について具体的に考えてみよう。

* 本当に「どうでもよい」が、何らかの意図
これは、例えば 「自分にとってはどうでもよい話題」なのだが、普段巡回するブログなどでよく見かける話題やモノやヒトが記憶にあったりして、何となく混じってみたいという意図を持って記事にしたりする場合など。
「混じってみたい」「意見してみたい」と思う時点で、厳密には「どうでもよい」事ではなくなっているのかもしれないが、実際その意見により A になろうが B になろうがさして問題はなく、「なんか言ってみたい」という目的の方が重要だったりするので、「(その話題については)どうでもよいが、~~と思う」って話になる。
同じような感じで、「A でも B でもどちらでもよい。何故なら ~~だから」のようなパターンもあるかもしれない。

要するに2つ目の例は、話題にされている対象自体は「どうでもいい」のだが、違った部分で「どうでもよくない」話をする時に見かける気がする。
(まぁ、クソマジメに A か B について話てるのにこれを言われたら「だったら黙ってろよ」って話になるかもしれんが)

* 中身は「どうでもよい」が、その周りの影響に興味
これは上の二つと全然違う話になってくる。
具体例をあげてみるならば「mixi はどうでもよいのだが、その社会的影響力について興味がある」とかそういうの。
まぁこの例も、「本当にどうでもいい」のか「本当はどうでもよくない」のかは外部からは完璧には判断がつかない。
もしかすると本人自身も誤認している可能性すらあったりするかもしれないが、そこを思い込みで「本当はどうでもよくないくせに。どうでもいいならスルーしろ」などといっても虚しい。

とまぁ、簡単に 3つほど例を挙げてみたが、スルー力を否定してる訳ではない。
「スルー力」だけに限定して話をすると、皆が言っているように「どうでもいい」事に遭遇した場合(または「どうでもいい」と事として処理したい場合)、周りのヒトからは観測できない事が多いだろうという結論は妥当だと思われるから。
ただ、『「どうでもいい」というフレーズだけ』を見て「本当はどうでもよくないくせに」とか「スルー力がない」という反応はいかがなものかと思った訳で。

まぁ、どうでもよい話だな。

* 関連記事

思うに、「どうでもいい」と言うことは純粋な「どうでもいい」ではなくて「どうでもいい(ということにしたい)」なので、せっかくやるんなら上手くやろうぜ、という話になるんだろうかな。その手段として「黙殺する」というのはある程度有効な手段ではある。
瀬戸風味@はてな – 「どうでもいい」と言うこと

ある事柄について興味を持つのも、どうでもいいと感じるのもまぁ勝手なんだけど。ただ、「どうでもいいけど」と前置きしつつも色々語っちゃったりなんかすると、本当にどうでもいいと思ってるの?と疑問に感じてしまう
鍵大工学部

煩悩是道場 – 「儀礼的無関心」と「無視」と「言及出来ない」を可視化出来ないジレンマ

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コメント

  1. エチケットペーパー的、または、俺にからめよ的「どうでもいい」

    本当は「どうでもよくない」のに、興味があると思われるのは悔しいので「どうでもよい」と言ってしまう。(意識、無意識纏めて) 本当に「どうでもよい」が、何らかの意図を持って話題にあげる。 中身については「どうでもよい」が、その中身によって起こる現象や状態や影響に

  2. 謙遜語としての「どうでもいいが」

    はてなを見ていたら「どうでもいい」といいつつ延々と意見を書くひとのことだとか、スルーする力についての議論をやっている。それはそれで面白い話題なのだが、自分はそもそも「どうでもよい」に対して「どうでもよいなら言及するな」という突っ込みをすることが野暮なもの

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