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2009 年 のアーカイブ

gmail に evernote のサイドバーガジェットを追加

2009 年 11 月 12 日



1.  Gmail の設定 click

20091112_gmail_evernote_1

2. ガジェット click

3. 「URL を指定してガジェットを追加」のところに、http://renecum.com/gadgets/evernote/evernote.xml を入力して、「追加」ボタンを click

20091112_gmail_evernote_2

4. サイドバーに Evernote の、mobile バージョンみたいなのが表示される。

20091112_gmail_evernote_3

5. Search, Saved-Search, New Note などのオペレーションが可能。

20091112_gmail_evernote_4

6. でもあんまりうれしくない。

Web・Net関連

moBlogからの投稿テスト

2009 年 11 月 3 日



投稿テスト。


日記・散文・その他

タグの付け方考

2009 年 10 月 31 日



最近のアプリでは、ローカルしろ、ウェブサービスにしろ、「タグ」が入力できるものも多く、タギングする行為が浸透してきている。

確かに、タグはフォルダによる分類に比べて、かなり自由度も高く、便利な機能だ。しかし、その自由度の高さ故、タグが散乱していまい、後から必要な情報にタグからアクセスできなくて、結局検索して探している、などということはないだろうか。(別にそれでもいいんだけど)

というわけで、最近改めてタグの付け方や情報整理をしたいと思い立って考えた形跡を記しておこうと思う。

背景

自分が一番はじめにタギングを行ったサービスといえば、たぶんだが、はてなブックマークだった気がする。最初は、オフラインのブックマークのようなフォルダ分類の考え方をベースにタグをつけていたように思うが、そのうち、オンラインのブックマークサービス(SBS)は、気になる記事を雑多にクリップするものだと考え初めるようになったあたりから、タグの数は徐々に肥大化し、系統も秩序もなってゆき、今では何がなんやらわからない状況である。
Evernote などでもかなり便利で、いろんなメモを残してはタギングしていたのだが、メモが増えるにつれ、同じようにタグが増殖していき、結局必要なメモを探すときには、検索するという、なんのためのタグだかわからないようなことになった。

あとは、flickr に、picasa、tumblr、amazon、その他諸々のサービスなどは、同じ結果になるであろうことから、もはやタグ付けさえしていない。

問題点

まず、「タグをつけるコスト」に対して、「得られる対価」に見合っていないというのが一番の問題だろう。「ブックマークする」こと自体は、自分の場合ブックマークした記事を plagger で取得し EntryFullText して、gmail に送っているので、後から検索するデータベースとしての価値は悪くない。あと、「明確な基準はないが、いずれ方向性など見えてくるだろう」という楽観的な考えでは俺の場合はだめなようだ。

そのような問題点を含め、「タグ」とは何なのか。或いは、「タグをつける意味」とは何なのか。を改めて考えた。すると見えてきたのは、「タギングする目的の不明確さ」だった。そりゃそうだ。何となく有効そうだと思いこんで、適当につけているだけなのだから。不明確どころか、無いに等しい。

まずは、「タグ」をつける目的を明確化せねばなるまい。

解決法

「タグ」は「付けるのが目的」でなく、「使うのが目的」のはずである。(あくまでも、俺の場合)

ならばどうすればよいか。

そうだ!「使うためのタグ」を作ろう!

これは、一見当たり前のようだが、自分にとっては画期的発想だった。(大げさ)
なぜなら今まで自分は、タグを付ける対象に対して、「その対象の特徴や属性」から連想される単語を付けていた。つまり、その対象が主になるわけだ。それを一転させて、「その対象をどのように利用するか」という、自分視点のタグを明確に使用するということになる。(「感想」などの、自分視点のタグもあるにはあるが、あまり意識はしていなかった)
もちろん、今までのタグが無駄になるわけではなく、両方向の違いを意識することで、アクセスパスを短くしようと考えたわけである。

「将来の目的を意識したタグ付け」を、タグを付ける目的にしようと考えた。という、何とも回りくどい要約になる結論になったわけである。

現在 Evernote で、目下検討・調整・実践中であるが、今のところ、何も考えずに付けていた頃に比べると、格段に有効利用できている気がする。(気がするだけかも知れない!)その具体的方法などは、また今度まとめようと思う。

Web・Net関連 ,

pbtweet – twitter を便利にする user script

2009 年 9 月 21 日



普段 Twitter は TwitterIrcGateway から利用しているのだが、follow する人が増えてくるとどうも文字列だけでは読みにくいなぁと感じていた。(やっぱりアイコンが欲しい)
最近 FriendFeed を特に利用するようになったのだけど、FriendFeed では、ホームを表示しておくと、Ajax で次々と新しい呟きが表示されるので、この UI だったら、流し読みしやすいと思い、Twitter でも採用すべき!と感じたのでつぶやいてみた。

20090921_twitter_pbtweet1

すると、id:yuki_2021 さんから返信があり、pbtweet なるものを教えてもらった。

pbtweet – twitter拡張スクリプト - はてなブックマーク数

まぁ、既に知ってる人が多いかもしれないけれど、再度紹介。

このスクリプトの素晴らしいのは、最新のつぶやきをどんどん表示するだけでなく、Reply_id を元に、ツリー表示してくれるところ(先ほどの画像の通り)。また、TwitPic, movapic, はてなフォトライフなどの画像をサムネイル展開してくれたりもするので、とても使いやすくなる。

もちろん、RT コマンドも実装されていたり、1クリックで japanize してくれたり(精度はいまいちだが)と細かな機能が嬉しい。

twitter pbtweet2

(薄くえて見えにくいかもしれないが、左から「toJA」「RT @」「(via @)」とある。いまいち、via の使いどころに迷う)

自分は、Firefox 3.5 の Greasemonkey 版を利用しているけれど、GreaseKit、Fluid.app及びChrome の userscript 版や、ブックマークレット版などもあるので、対応範囲は幅広い。

単に、最新つぶやき読み込みだけでよければ、他にも、
- @troynt’s Twitter Script for Greasemonkey はてなブックマーク数
- Twitter Auto Refresh for Greasemonkey はてなブックマーク数
などがある。

Web メインで、twitter client 入れるのもなぁ、という人は、是非試すべき一品だと思う。

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「人それぞれ」とはコミュケーションの断絶である – 加筆修正

2009 年 9 月 21 日




前置き

これは特定個人の心理を断定したり、なぞったりするエントリではありません。「うそとネチネチと KY と 」で引用したエントリに対する、状況・関係を推測している部分もありますが、あくまで個人的な推測であり、断定しているわけでもありません。
そういう前提の元に、普段から感じることを文章に纏めた内容になっているので、それを踏まえてお読みください。

本文

何をいまさらなテーマだが、たまたま私生活において、「うそ」や「議論」に関する本(「だまされない〈議論力〉」など)を読み返していたのと、先日書いた記事(「うそとネチネチと KY と 」)と、その他普段目にするものが重なって、やはり「議論する・対話する」というのは、とてもコストがかかるものであり、また、いたるところで避けられているのだなぁ、と改めて考えたと。

ここでいう議論・対話とは、少なくとも「お互いに主観による主張と、その根拠を自分以外の相手に述べること」くらいは前提として使っているが、その前提をクリアする為の条件には、

  • お互いに「向き合う」姿勢があること
  • 相手の意見を聞いて、自分の主観に影響を受けることや、考えを変更することがあることを認めること
  • 一つのテーマについて、お互い共通認識がとれたと“思える”まで繰り返し付き合うこと

といったものが必要になってくる。

その意味で、「うそとネチネチと KY と 」で引用させていただいた男女については、はなから「向き合う」という前提が共有されていないにも関わらず、男性は「相手が真摯に答えて当然」という誤解をしたようにも思う。要するに、あの文章だけ読めば、男性は、女性に「相手にされてなかっただけ」であり、対話するだけの関係を気づくことができなかっただけなのではなかろうか。

「だまされない〈議論力〉」の内容については、今回は深くは踏み込まないが、概要だけいうと、議論に対する考え方・前提などの解釈の仕方・注意点などについて書かれている。その中で一点、今回のエントリに関連する内容に関連する部分を挙げるならば、前置きや相対主義などの説明の部分で、『「人それぞれ」はなにも問題を解決しない』と述べており、さらに『「人それぞれ」は他を尊重するようでいて、実はコミュニケーション拒否』とあるところだ。これは全くその通りだと思う。

「拒否」とあるので、拒否するのは悪いこと、のような意味に読み取れるかもしれないし、実際この本の中では「議論」という意味においてそのように解釈できるが、少なくとも個人的にはそのような意味では考えていない。コミュニケーションを「拒否」するのは、それなりの理由があるからなんだろうなぁ、と考える方が多いと思う。(当然、拒否されて憤慨するシチュエーションもあるだろうけど)

その理由とは、

  • 理由を説明するほど考えがまとまっていない。
  • コストをかけてまで(又はコストがなくとも)、主観を相手に伝えることに意味や価値を感じない。
  • 根拠を説明するだけの語録がない。
  • 議論に慣れていないので、価値観の違いから「対立」することを避けたい。
  • 相手の考えを、聞きたいと思わない。
  • 感じたものを「自分だけのもの」にしておきたい。

などだろうか。
どんな理由にせよ、やはり「人それぞれだから」といって、その話はそれでおしまいにするということは、相手がその会話を望むという要望に対する「拒否」であることには変わらない。

「私はこう思う。あなたがなんと言おうと、なんと解釈しようと、こう思う」

というのは、ひとつの信念であり、誰もそれを否定する事はできないのと同時に、信念であることから、他者の解釈・信念を排他するということである。また、逆に信念でなく、「どうでもよいこと」などについても、いちいちコストをかけることもないだろう。ただ、問題は、その「どうでもよいこと」が共通認識だという思い込みが、いたるところに見受けられると感じることである。

関連リンク

- うそとネチネチと KY と – suVeneのアレ はてなブックマーク数
- だまされない〈議論力〉



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