非合理的だと感じる理由によって従わされる不快感について - suVeneのアレ

非合理的だと感じる理由によって従わされる不快感について

社会生活・集団生活の中では、常に自分の意見が通ることはないというのは、誰しもが納得することだろう。

ただ、その通らない理由が、(主観的な判断で)非合理的な理由、または納得できない理由である場合、人は不快感や屈辱感を味わうことが多いのではなかろうか。というか、そういうものだとして話を進める。

不快感や屈辱感が残るパターンの相手

否定されると怒りだす人

自分の意見が否定・指摘されると、すぐさま怒り出す人というのがいる。大きな声で怒らないとしても、明らかに不快感を表情に出す人などもそれにあたる。自分より気の強い相手や、体力的に強い相手だと、脅迫的な意味で従わざるを得ない部分があるので、どうしても屈辱感が残ることだろう。

話を聞かない人

話を聞かない人の中にも幾つかパターンがあるが、一つは、今まで違う方法でやってきたからという理由で、新しい方法を説明しても取り合わないという、「永遠の昨日」の人。一つは、自分の方法が必ず正しいと思い込んでいて、頭ごなしに相手の主張は間違えていると考えて話を聞かない人。

どちらのパターンにしても、「こちらの方が効率的では?」という提案すら聞いてくれないだけでなく、自分が納得できないまま非合理な方法に従わざるを得なくなったときは、モチベーションも下がるだろう。

これらは、社会的な役割的に同等かそれ以下である場合ならば、抗いようもあるが、自分より上の立場の人間にこれをされると、どうしようもない。

共通するのは

他にも色々なパターンがあるかもしれないが、共通するのは、従わせる相手に対して、理屈ではなく権威や暴力性や政治力などにより、一方的に自分の意見を通そうとするということだ。「この人に任せておけば大丈夫」などといった、ある種のカリスマ性があるならともかく、相手を納得させぬまま何とかその場で自分の意見を通したところで、何らかの遺恨が残ってしまうだろう。

うまくスルーセヨ!

では、これらのような人達と出会った時にどのようにすればよいか。
「スルーセヨ!」というのが、一つの回答なのではあるが、スルーするにも幾つかの方法がある。

精神的なスルー

とは言っても、精神的な耐性というのは、明らかな個人差がある。先天的な性格か環境による性格か考え方かはわからないが、「おおらかな人」というのは、元々精神的なスルーをしている可能性がある。(色々な意味の「おおらかさ」があるが、とりあえず大雑把に括っておく)

逆に、「神経質な人」又は「完ぺき主義な人」「理屈っぽい人」というのは、精神的なスルー力が多分弱い。単純にわかりやすい反応だと、自分が気が強い場合は、相手に納得するまで食って掛かったり、逆に気が弱い場合は、嫌々従わざるを得ないが、最後まで納得できずに抑圧となって、胃に穴が開いたりするだろう。

そのような人に「精神的におおらかになれ」といっても、すぐさま成れる訳でもないし、そもそも、指摘や質問が悪い訳ではないので、「おおらかに」成ることを強制するのも筋違いである。

では、どのようにスルーすればよいのか。

それは、「相手は理屈が通じない(と自分が考える)相手なんだ」という事実を認識して、「相手を理屈で説得しよう」とすることの困難性やコストの高さを踏まえて説得することと、「論じている争点」とは別の観点・方法を考えることと、自分にとってどちらが合理的・効率的かという、ある意味理屈で考えるということだ。

道を歩いていて、大きな岩にぶち当たった時、その岩を動かす為に、ブルドーザを用意したり、人手を集めたりするか、それとも、押してずらそうなどとは考えず、回り道にはなるが、別の道を探して回避するか、という選択肢を考えた場合、コストを考えればどちらが効率的かということを考える訳だ。

まぁ、この方法は結局相手の思うようにさせるという点で癪に障ったり、論じている争点が回避できないほど重要なポイントだったりする時に使えないなどのデメリットはあるが、少し観点を変えてみるというのは、そう悪くない案だと思われる。

物理的なスルー

これはそのままだが、なるべく距離を置けるなら距離を置く方がよいということだ。直属の上司であったり、同じチームの同僚であったり、近所の人であったり、なんだかんだと物理的距離がとりにくい可能性は大いにあるが、なるべく真っ向から相手するのを避けるように気をつけるというのも、精神的自衛の手段の一つだろう。

この方法も、「なんだか逃げている」というような思いに駆られる可能性もあるのだが、リスクを回避したり、遠ざけることは、直接「逃げる」事にはならないし、そもそも「逃げる」事は、考えてるほど悪いことでもないと思う。

最後に

このように、非合理的な理由や納得できない理由を押し付けてくる相手と面と向かうのは、とても疲れるしストレスの溜まることである。ただ、「相手が必ず非合理、或いは納得できない理由を押し付けている!」という思い込みにより、相手の意見を聞かないようなスタンスを取ってしまえば、結局その相手と自分は同じ穴の狢である。

いつだって自分が第三者からみて、「非合理的で納得できない理由を押し付け」ている可能性を無視して、相手を非難していないか気をつける必要はあるのではないか、と思う次第である。

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