人を「嫌う」ということ(その1) - suVeneのアレ

人を「嫌う」ということ(その1)

 こないだの記事はネタだ。ただ、書き方はまるっきりネタだが、内容についてはそんなに考えてることとずれていない。
 今日は「人を「嫌う」ということ」について書いてみようと思う。

 まず、ブロガーについてなんだが、「嫌い」なブロガーってのはいない。これは、id:umeten さんの考えとほぼイコールだ。

2007/02/11 12:38 umeten しかし、嫌いなブロガーってのは、普通目にしないし読まないものなのであんまりいないものなのでは?それでもブクマ数ゆえに目に付く場合に気に障るようになるとか。
はてなブックマーク – suVeneのあれ: 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ! (抜粋)

先ほどもいったように「嫌い」なブロガーなどは「あんまりいない」というか、つまらん記事と判断したり、何いってんだこいつ?って思う記事はそもそも続けては読まないから、やはり「嫌い」になるまで感情が動くことはない。

* 個人的な「嫌い」について
 話を進める前に少し「嫌い」という感情について考えてみよう。
 俺はそもそも、人を「嫌う」ということが少ない。これは「いい人」だからとか、「我慢強い」からだという意味ではない。いや、寧ろ逆だ。短気だし、我慢しないですぐ「うぜー」と思うし、言葉や態度にあらわす。
 ただ、それっきりだ。
 「嫌い」になるのはメンドウだから、それ以上は距離を置くか、関わらないか、相手にしないかという手段をとる。これは、ネット上の話だけでなくリアルな生活においてもそうだ。例え仕事上で「ウザい」と思う人でも、仕事に必要な情報をやり取りする時は、ほとんど関係ない。「嫌いであること」と「必要な情報を交換すること」は切り離して考えているからだ(完全ではありえないが)。この辺の考えについての指摘は id:mind さんが鋭い。

2007/02/12 20:31 mind ――「嫌いな人が居ない」のも、個人に対する関心が低い/愛が足りない…ってことで; //嫌いになりそうだったら、その手前で近づくのを停める、というのはあるかも。
はてなブックマーク – suVeneのあれ: 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ! (抜粋)

故に、俺が「嫌い」だと判断するのは、避けたくても避けれない関係や立場、共同生活を送らなければならないことを強制される環境、などにおいて発生するのだと思う。
 しかし、「嫌い」であることと「ウザい」と思うことの境界は曖昧だ。解釈によっては同じものなのかもしれないが、ここでは深く取り上げるのをやめて次の話をしよう。

* 「嫌い」を表に出すということ
 前回の記事でも書いたように「嫌い」という感情を表に出す事はデメリットが多い。攻撃的な感情を向ければ、攻撃的な反発を食らう可能性が高いからだ。故に、世間では大抵、負の感情である「嫌い」「ウザい」ということを隠すことが多い(多数vs小数で反発があっても動じない立場を除く)。
 しかし、俺は言いたい。ネタ記事でも言ったが、ここは本気だ。
 
「自分の中の相手に対する負の感情を表層(言葉や行動)に出して認識する。そして(必要ならば)相手に理解させよう」

ということを。
これは、「お互いの嫌な部分を指摘して、より理解を深めてみんな仲良くしよう」とか、そんなクソみたいな話ではない。

何故そうするのか。
俺は「嫌い」という感情を隠すことによるデメリットのほうが個人的に嫌いだからだ。
俺は「嫌い」という感情を隠して、仲良いように振舞う行動のほうが個人的に嫌いだからだ。

感情を隠すことによるデメリットとは何か。

  1. 感情を抑圧することで表面上を取り繕ってうまくいっている(様に見える)関係が、何かをキッカケに破綻した時の反動が大きいこと。
  2. その反動に怯えて相手の言動を裏読みする癖がつくこと。
  3. そのコミュニティ間で暗黙のパワーゲームに神経を使うことがメンドウなこと。
  4. 相手が自分を「嫌い」でないか探らなければならないこと。
  5. 自分の感情を抑圧することでストレスがたまり、それが内向的に働けば体調を壊したり、外向的に働けば相手を過剰に攻撃したりすること。

思いつくままに箇条書きしてみたが、これらのことは全て嫌いだ。メンドウだ。

 勿論、本音と建前を全てなくしてしまえなどという無茶なことは言わない。それは無理だ。ただ、もう少しその本音と建前の乖離を小さくしてみてはどうだろうと思う。何故なら、俺はその方が暮らしやすいと考えるからだ。(万人に強制したい訳ではない)

* 「嫌い」を伝えるということ
 先ほど「(必要ならば)相手に理解させる」といったが、何も言葉や暴力で攻撃せよとか、徹底的にそのコミュニティから排他せよとか、相手の権利を奪ってしまえなどということでは決してない。距離を置く為に伝えるのだ(追記にもあるように、「ただ離れる」ことが可能な場合は、無理に伝えて角を立てることもない)。
 きっと「嫌い」な相手は、あなた自身を「嫌う」だろう。もしかすると、いわれもない理由で怒り出すかもしれない。ただ、我慢して表面上付き合っていくのと、一度は嫌な思いを自分もするが相手と距離を置くのとではどちらが有意義か考えてみる時間を持つのもよいのではないだろうか。
 上記の話は、プライベートな関係においては有効な場合が多いが、公共性の高い場や職場においては難しい話かもしれない。「嫌い」だという感情とコミュニティ間の力関係というのは完全に切り離せないからだ。例えば、直属の上司に嫌われてしまっては、チャンスも回ってこず、悔しい思いをする可能性も高いだろう。
 俺はそんな時でもすぐに言動に出てしまうのだが、流石にそこまではお勧めできない。これは、「立場」と「感情」のバランスをとって我慢したりする必要もあるだろう。

* 簡単なまとめ
 ちょっと長くなりそうなので、一旦ここら辺で区切ろうと思う。
要約すると、自分の負の感情を「悪いものだ」とか「みんなの為に」などという理由で否定・抑圧せず、まずそれを認めること。そして必要ならば、相手に伝えて距離をとること。その上で付き合いが必要ならば、必要最低限のやり取りをし、嫌いあうものどうしの表層上の関係に煩わされずに、お互いに他の道を選ぶのもよいのではないかということ。

 そういう考え方を提案してみたいのだ。

追記1

2007年02月13日 hatayasan わざわざ伝えることの意味がわからない。プライベートな場なら距離を置けば済む話では?
2007年02月13日 laddertothemoon 一方的に好かれて近寄られるのが迷惑なら表明も必要かと思う / そうでないなら「嫌い」を表明せずにただ離れればいいのでは
はてなブックマーク – suVeneのあれ: 人を「嫌う」ということ(その1)

 「ただ離れ」られたり、黙って距離を取れる関係ならば、それでよいと思うし、「距離を置けば済む話」だ。
 俺が言っているのは、その「嫌い」を誤魔化して表面上仲良さそうに取り繕っているような場合の話だ。なので、

2007年02月13日 freekoi こっちは相手になんの興味もないのにわざわざ「嫌い嫌い」と言って近づいてくるキモチ悪い虫もいる。嫌いなんだったら、別に無理に近づかないでアッチに行っとけばいいのにと思うんだけど。
はてなブックマーク – suVeneのあれ: 人を「嫌う」ということ(その1)

この引用の話はまるで関係がない。(関係ないブクマコメつけるなということではない)

suVeneのあれ: 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ!
suVeneのあれ: 人を「嫌う」ということ(その1.5)

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コメント

  1. メモ より:

    [その他言及]嫌いな人の投影図

    要約すると、自分の負の感情を「悪いものだ」とか「みんなの為に」などという理由で否定・抑圧せず、まずそれを認めること。そして必要ならば、相手に伝えて距離をとること。その上で付き合いが必要ならば、必要最低限のやり取りをし、嫌いあうものどうしの表層上の関係に煩

  2. メモ より:

    [その他言及]抑圧が生まれるのは

    俺が言っているのは、その「嫌い」を誤魔化して表面上仲良さそうに取り繕っているような場合の話だ。 suVeneのあれ: 人を「嫌う」ということ(その1)  追記を待った方がいいのかもしれないが。  当事者同士がほんとうは嫌いあっているか、あるいはどちらかが相手を嫌ってい

  3. kan より:

    すばらしいご意見。嫌うというのも人間の本能だと思う。「うまくいっている人の考え方」にも似たようなことが書いてあったかな。人間皆違う価値観を持ってるから自尊心があれば「嫌い」という感情は当然出てくるものですね。

  4. 匿名 より:

    はじめまして。こちらのブログにはリンクから飛んできました。
    実は私は今まったく同じようなことで悩んでいまして、管理人さまが書かれたこちらの記事はとても興味深く、又助けられました。4月からは大学生になり、
    悩むこともさらに増えるかもわかりませんが、そのようなことも乗り越えて強い人間になりたいと思っています。

  5. suVene より:

    > 人間皆違う価値観を持ってるから自尊心があれば「嫌い」という感情は当然出てくるもの

    その通りですね。

    > 実は私は今まったく同じようなことで悩んでいまして、管理人さまが書かれたこちらの記事はとても興味深く、又助けられました

     このような記事で少しでも気が楽になったのだとすれば幸いです。
     協力し合う必要性もありますが、無理に自分の感情を抑圧してしまいすぎないのもまた必要だと感じます。

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