健全という言葉とその一見的外れにも見える反発について考える - suVeneのアレ

健全という言葉とその一見的外れにも見える反発について考える

 かの柳沢厚労相の発言がキッカケだが、それだけの話ではない。
 以前に「批判・反論は意外と難しいという話」というのを書いたことがあるのだが、それについての関連である。

 まず、以前の記事に対するまとめとその反応への対応をしてみよう。

  1. 「○○は××である」という内容に、「△△も××だ!」という反論
    これは犯しやすい間違いである。
    例えば
    「女はわがままである」とか、「mixiのコミュはムラ社会である」という主張に対して、「男もわがままである」とか、「ブログもムラ社会である」という反論はとても的外れだ。
    (元の主張が「女だけが」とか「mixiとブログを比べてmixiだけが」と言っている場合を除く)
    … 中略 …
    同じ意味合いとして、「○○でない場合も××である」という反論も的外れである。
    例えば「winny を利用すれば情報が流出する」という話に「winnyでなくても情報が流出する」という具合に。
  2. 文脈を理解せず、一部を切り取って反論
  3. その他
    『価値観の違い』は説得材料にならない

    suVeneのあれ: 批判・反論は意外と難しいという話 (抜粋)

まず一つ目の話だが、この形として今回の「健全」の騒動がある。例えば

今回の発言は前回よりもややテンションが低めだけど、私にしたら「2人子を持たない女は不健全」発言の方がかなり痛く感じる。それはなぜか?
めぐままの育事日記

要するに「○○は××である」という内容を「△△は××ではない」と受け取り、「△△も××だ!」と反論するわけである。

 以前の記事に対しては、幾つか異論があった。

2006/10/23 22:13 fuktommy [misc] 「女はわがままである」と言った場合は「男に比べて」ということだから「男もわがままである」は反論になっている。

まずこの「男に比べて」というのが書かれていないことに対する勝手な推測であり(前後の文脈から推測できれば妥当であるが)、「女はわがままである」という一文のみを見ても何とも言えないのだ。何故なら、

「女はわがままである。~~するからだ。そしてまた、男もわがままである。~~であるからだ。」

 という文章から切り取った場合、「男もわがままである」は反論になっていない。というよりも、同じことを述べている。
 別の反応を取り上げてみる。

# 2006/10/24 09:36 zonia [議論と対話], [興味深い] 「例えば「winny を利用すれば情報が流出する」という話に「winnyでなくても情報が流出する」」は文脈によるよなあ。

そう。まさしく文脈による。「情報が流出するならば winny を利用している」という意味で述べているならば、「winnyでなくても情報が流出する」は正しい反論である。

 もう一つだけ取り上げる。

 もし、私が公安だったら、微罪逮捕で引っ張ってきた被告に、「他の奴だってスピード違反/住民票移転の遅れ/公文書の誤記/路駐/駐車場のショートカットをやっているだろ」と反論されたときに、このBlogのコピーを見せればいいのかな。「え、うん。」と言って。
REVの日記 @はてな

この微罪逮捕の被告の反論は(自分“だけ”が別件逮捕されていると認識しているとするならば主観的な意味で)正しい。何故なら、他の人の微罪逮捕も公平に検挙し罰則を与えているのならば正しくないが、この被告でない場合は微罪逮捕しないだろうからだ。まぁ、公安の立場なのだとしたら「皆いずれ引っ張るよ。まずはオマエからだ」とでも言うのかもしれない。

 勘違いしてもらいたくないのだが、俺は別に柳沢のおっさんを庇いたい訳ではなく、辞任しようが継続しようがどちらでもよいのだ。ただ、何故今回のような判断になる人がいるのかという現象が気になる。例えば「レズビアンは健全な感情である」と発言した場合、異性愛者やホモやその他マイノリティの立場の人は同じように怒りを表明したのだろうか。
 そこで一つ面白い記事を見かけた。

A 若い人たちは、『将来プロ野球選手になりたい』いう極めて健全な状況にいる
B プロ野球選手以外の大人は不健全なのか

この批判がおかしいのはすぐにわかる。 「○○になりたいことが健全」と「○○が健全」は違うし、「○○が健全」と「○○以外は不健全」も違う。
でも。

A 若い人たちは、『将来サラリーマンになりたい』いう極めて健全な状況にいる
B サラリーマン以外の大人は不健全なのか

同じ論理なのに、さっきよりも批判に違和感を感じないのはなんでだろう。
健全な状況 – まちゅダイアリー (2007-02-06)

俺もまさにこれと同じ意味で今回の話を考えている。
 根拠のない推測でしかないのだが、そこには“発話者の常識”や“大勢の意見”を「よい状態である」という価値観を表明すると、その“発話者の常識”や“大勢の意見”に属さない人に疎外感・抑圧感・排他感を与えるのではないだろうか。先ほどのレズビアンの例も、引用のプロ野球選手の例も大局で見ると少数派である。そのような立場に対して肯定の価値観を示した場合は、激しく反論されないように思う。
 しかし、今回のような 80%を超える集団や、サラリーマンという多数派や拮抗している勢力への肯定の価値観の表明は、そうでない側に圧迫感や危機感を与えるのだろう。

 そう考えれば、これはある意味正常な反応かもしれない。

suVeneのあれ: 批判・反論は意外と難しいという話
はてなブックマーク – suVeneのSBM / 柳沢発言問題

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