「信用と信頼」に関するイメージを文章にしてみる - suVeneのアレ

「信用と信頼」に関するイメージを文章にしてみる

正式な用途は辞書を引いてもらうとして、個人的には<<信用>>と<<信頼>>の概念には大きな違いがある。
「(主観的判断で)信じる」という意味においては、どちらにも共通点がある。

信用
 まず、「信用」という意味を考えてみよう。文字を額面通り受け取ると「信じて用いる」だ。信用する為には
 

  • 信じる為の(必要だと思われる)幾つかの客観的根拠
  • 又は信じるに値する(と判断できる)、対象との直接的経験
  • 又は自分自身の経験から自明であると判断できるもの(“常識”や“当たり前”と思っているもの)

が必要である。そして、これらの条件をクリアしたモノを信じることを「信用できる」と考える。

 しかし、というか、当然のことながらこれらの条件は多分に主観的な推測であるので、信じていたこと(期待していたこと)にそぐわない結果が出ると信用は「失われる」。また、信用している対象と口約束などを含む契約をしていると、信用に値しなかったことに対する「補償を求める」。また、信じていた対象が故意に信じていることに反する結果を選択すれば「裏切り」であると判断する。

 勿論、対象にばかり責任がある訳ではない。例えば、契約関係のない一方的な「信用」を押し付け、その対象が期待する結果にそぐわない場合は、完全に自分の責任である。先にあげた条件のうち、常識や当たり前だと思って過度に相手に期待してしまった場合などはこれに当たる。また、契約関係にあったとしても、信用する為の条件の基準や、判断ミスなどに対する反省も必要になることがある。 信用関係の例を挙げるとするならば、業務を遂行する為の、同僚やパートナーとなる企業など。その他、生活している上で欠かせないモノなども、信用の変形であると考えられる。

 要するに、「信用」の基本は個人と個人(法人)の対等な関係であり、お互いに「期待する結果」が存在し、それを信じることにより円滑に物事を進めていく関係を「信用関係」と呼ぶ。一つ重要なのは「信用関係」には「感情的な好き嫌い」はさほど影響しない。嫌いであっても信用できる場合もあれば、好きであっても信用できない場合もある。(ただし、信用する為の担保が少し厳しくなる可能性はある)

信頼
 次に、「信頼」を考えてみる。こちらは「信じて頼る」だ。信頼する為の条件は

  • 信じる対象に好意的であること
  • かつ、信じた結果にそぐわなくても責任を問わないこと

である。「信用」に比べると、感情的であり、一方的であり、客観的根拠に乏しい気もするが。

 例えば信頼とは、信じていたこと(期待していたこと)にそぐわない結果が出たとしても「失われない」。また、期待していた結果がでなかったとしても「補償など求めない」。そして、信頼していた対象が、故意にこちらが信じていることに反する結果を選択しても「裏切りではない」。
 何故ならば、「頼る」というのは「相手の判断に頼る(を信じる)」ということであり、その結果に対する責任は自分自身の選択にあるからだ。故に、選択した理由や根拠を質問する事はあっても、その理由を責めることはなく、相手の判断を受け入れるということである。信頼関係の例を挙げるとするならば、友人や恋人や肉親や恩師などが当てはまるかもしれない。

 信頼関係とは、一方的である思いが双方向に生じた状態を呼ぶ。必ずしも対等でなければならない事はないが、信頼という名の下に相手に依存していたり、依存されていたりする場合は信頼とは呼ばない。個々が自立し尊重しあう関係でなければならない。

そんな訳で
 信頼と信用の関係は対象によって簡単に割り切れるモノではない。ある場面では信頼していたり、ある場面では信用していたり、またその逆もあったりする。信頼と信用は簡単に切り離せるモノでもない。その境界はとても曖昧である。故に、「信頼しているから~~」「信用しているから~~」というよりは、「~~だから信頼と呼ぶ」「~~だから信用と呼ぶ」と考えるほうが分かりやすい場合もある。

 それでも、境界は曖昧だとしても、その二つの概念は明確に別である。

 俺は、信頼の置ける人物に出会えることはとても恵まれたことだと思うし、俺が信頼する人物からの信頼を得られたならば、それもまた恵まれたことだと思う。

という、概念遊びで、そんなに煮詰めて考えてないんだけども。そんな感じ?

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コメント

  1. 匿名 より:

    非常に参考になりました。
    とある人物より「どうして仕事上で信頼できる人を見つける事がおかしいのか?」って質問された事があり、「信頼」って…おかしくね?って議論した事がありました。
    その時は「信頼」についいてきちんと説明出来なかったのですが、これを読んでまさしく!!と感激しました。

  2. suVene より:

    言葉は定義によるので、他者と話をするときは、その定義というか前提条件を一致させることが主体になると思います。

  3. ビタミン より:

    @simatougarashi 信用と信頼は似ているようで、違うものhttp://t.co/JhnTRLi

  4. ヨウ より:

    そのブログはこちら。http://t.co/LgjlFCe4
    信じて、期待にそぐわなければダメ、っていうのは友人とは違うよねぇ。

  5. 竜海 より:

    そして、私の興味が抑えきれずに調べてしまった「信用」「信頼」 ……先輩が無謀なことはしないと信じていますし、先輩の行動がどうであれ、そこまでは悪いと思わないのですけれどねー……結局は先輩が最終判断をなさるのですし http://t.co/bPyKbvff

  6. かぼす より:

    信頼と信用。http://t.co/43sYhxJk

  7. あーく より:

    @tamaokiaya @keinnishi 参考に二つURL. どっちも今一歩痒い所が残ってるけど大体は似てるので。特に物理的/過去の信用と精神的/未来の信頼を言ってる下の方はかなり近い
    http://t.co/1G0VqrCc
    http://t.co/XCH60bXq

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