ウェブ上での会話について(id:b_say_soさんの言及に対して綴る) - suVeneのアレ

ウェブ上での会話について(id:b_say_soさんの言及に対して綴る)

俺は、ウェブの上では現実ではありえないほどフェアな状態に近いと思っている。欧米圏や、実名化が制度化されている国とは違って、匿名に近い HN で活動する事の多い日本では、現実でのしがらみや抑圧からかなりの低コストで解放されるキッカケを与えられていると考えている。体力差や年齢差、男女差などの障壁が著しく薄くなる(という HN のメリットが好きだ)。

ただ、この均衡は感情が入ったり、現実との接点を持ってきたりする事により途端に崩れることがある。

Say::So? – わからないならわからないってことにもっと謙虚になったほうがいいと思うよ、たぶん。

このブログで俺のコメントが言及された訳だ。俺が書いたコメントは

2006年12月25日 suVene suVene 自意識 『どうにもできないのが自意識の厄介なところなわけで』『どうにもできないことを一番よくわかってるのも自分』これはとても同意。ただ、それを周りに『何も言わないでくれればいいのに』というのは甘え。
2006年12月25日 suVene suVene 自意識 どうだろうか。「対策」を練る事自体、殻を厚くしている行為に思えなくも無いが。本来なら相手にしない事が得策。ただ、それがわかっていてもできないのだから、「対策」する方がましなのかもしれない。

というように、文章から読み取ったことの中から、同意できた部分と「甘え」だと感じた部分を書き出しただけである。id:b_say_so さんに対する悪意の微塵もなく、意味も無く全否定しているわけでもない。ましてや、「甘えてんじゃねーよ」という事でもなく、もしかしたら俺自身にも当てはまるかもしれない単なる「甘え」という概念の指摘だ。

それに対する言及記事の内容は
「私はコンプレックスを背負っているので、あなたはコンプレックスが分からないからもう少し謙虚になったほうがいい」
という事である。

それはどういう理由からだろうか。もう少し相手の記事を俺なりに要約すると
・ 私は幼少の頃から、あるコンプレックスを背負っていて、他人の顔色に敏感である。
・ 他人はあまり気にしていないのに、意識してしまうのは「自意識過剰」であることは分かっているのに、どうしようもできない。
・ それが分からない人は、そうとは気付かずに他人を抑圧している。
・ そのような態度は、相手に悪意が無くても悪意として写る。
・ だからあなたは謙虚になるべき。
ということである。では、どうしたいのか。「私は弱者なので、いたわって欲しい」と言いたいのだろうか。それとも「あなたは自分で知らないうちに他人を抑圧している」と主張したいのだろうか。

まず、前者ならば(ウェブ上での会話の上で)卑怯であると考える。
「自分は弱いから」という演出をする事により、周りの「感情」に訴え味方をつける行為に他ならないからだ。コンプレックスを盾にとり相手を批判するやり方である。「強気をくじき、弱気を助ける」というような慣用句があるが、何故「強い」というだけで悪になり、「弱い」というだけで善になるのかわからないが、「傷ついた方が弱いから守らなければならない」と簡単に誘導される者を味方につける訳である(俺が特別強い訳でなく、相対的に)。
まるで兄弟げんかで、有無を言わさず長男が怒られるように。

俺は、id:b_say_so さんはこのような意図はないと判断している。ただ素直に俺の言葉により「傷ついた」という意思をせめてウェブ上ででも表明したかったと受取っている。ただ、それでもチラホラと「感情」に流されて判断する人が見受けられる。

ふーん 『↑こうやってネットの愚痴にいちいち噛みつくのって楽しいのかなぁ』

2006年12月25日 # keijis keijis communication, コメント欄 これが対話だとしたら、私には一生わかりたくない感性だと感じた。

この人達は、自分が優しいとでも思っているのだろうか。id:b_say_so さんを弱者の目で見て対等に対話するつもりが無いのはこの人達ではないのか?

そして後者の場合なら、少なからず認めざるを得ない部分はある。俺は大抵の場合、相手が傷つく可能性があると判断しても、事実だと思ったり、自分が考えた事は口にしたり文章にしたりする。何故なら発話することによる「相手が傷つく可能性」なんて消えるはずがないからだ。そして、それが原因で「コンプレックスを刺激され」たり「傷つく」人はいるだろう。

それはまるで、明日の遠足を楽しみにしている小学生に向かって「明日は降水確率90%だ」というように。

id:b_say_so さんの記事の内容が「私はコンプレックスの記事は書くけども、事実を指摘されると悪意と受取るので止めてください」というのならば、むこうのコメントに書いたように、別に悲しませたい訳ではないので考えなくも無い。しかし、それをさも一般論のように

というか甘えとかなんとかいわないほうがいいですよ。いや、ほんとに。そういうのがあるから強固な壁を作ってしまうんだし。わからない人は、わからないってことにもっと謙虚になるべきだと思う

という理由が分からない。自己申告で「コンプレックスを背負っている」といえば「甘え」という事実を指摘するのはやめるべきというのはどういうことだろうか。俺が「実は俺も幼少の頃から対人コンプレックスがありまして、言及しないで欲しい。ていうか、言及を止めるべき」といえばそれは通るのだろうか。
id:b_say_so さんは

わかってないひとはそうとは気づかずに他人を抑圧していてそれに気づかないうえに、そういう態度に疑問を呈すると居丈高にこちらが悪いと言い募る傾向がある

というが、自分がコンプレックスがあるからといって他人のコンプレックスも理解できていると考えているかのようであり、まるで「悪いと言い募る傾向」からは外れているかのような言い回しである。

要するに「私は傷ついた」という話が、「わかっていない人は謙虚になるべき」という話に転化しているということだ。

とまぁ、感情に訴えた非難の記事と受取ったのでさんざんな事を言っているが、俺は id:b_say_so さんのブログはおもしろいと思っている。だからこそ沢山ブクマしているんだろう。その人が俺の言葉で「傷ついた」と直接名指しで言うのだから、それは受け止めるしかない。周りから「傷ついた」と表明する事について色々言われたとしても、そういう主張はどんどんしていけばよいのではないだろうか。

それでも俺は、あなたを特別扱いするつもりは無い。
(いや、どうしても嫌で耐えられないというのならば繰り返しになるが、絶対俺はコメントをつけると言いたい訳ではないので、個人的にはコメントつけずにスルーするのはかまわない。しかし、そのときは ブログ ではなく mixi などでプライベートに公開などを考えないと同じ繰り返しになるだろうとも思う)

id:laddertothemoonさんの記事にもあるように、「傷つきました」「そうですか、でも変わりません」「どうぞお好きにコメントしてください」と、まるでコントのようであり、話が進展しているとは到底言えず、言いたい事を言い合っているだけなのお笑い種なのかもしれない。

まぁそれでもいいんじゃねーかなとも思う。

Say::So? – わからないならわからないってことにもっと謙虚になったほうがいいと思うよ、たぶん。
Ladder to the Moon – ブクマコメントで傷ついたときにどうするか
瀬戸風味@はてな – suVeneさんのコメントに突っ込む

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コメント

  1. カトウ より:

    「現実でのしがらみや抑圧」は解放されずに、ただ見えなくなっているだけじゃないでしょうか。

    考慮すべき差異も、そうじゃない差異も、一緒くたに不可視になることがメリットだとは(個人的には)思えません。

  2. suVene より:

    年齢差・体力差・男女差・生まれ・育ちなどの現実の属性を引きずったまま議論することと、一旦その属性は置いておいて議論することを比べた場合、後者にメリットがあると思っています。

    見えなくなる、つまり不可視になるということは、現実にある問題に蓋をするというわけではありません。
    つまり、カトウさんのおっしゃるように「差異を無視する」ことがメリットだというわけでなく、「差異を属性と切り離して議論できる」ことがメリットだという事です。

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