「「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント」を読んで - suVeneのアレ

「「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント」を読んで

法務だけど理系女子の綴るblog: 「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -「病院に行け」の怖さと、スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」意味-という記事の話なんだが、その前に月経前緊張症(PMS)に関する記事 ってのがあって、PMS に対して無知だった俺にとって、とても勉強になった。

 少なくとも、生理現象や自己コントロールのできない症状である以上は社会的にある程度対処する必要があるべきだし、病院に行って「病気」と診断されないのならば「自己申告によるPMS」の手続きに関しても考えないとダメなのかもしれない。(かなり難しそうだけど)

 まぁ、その辺の議論は特に深い関心はないのだが(コメント欄も全部読んでない)、その次の entry として件の記事があって、それに対してなんだか疑問をもった。最初は「一部の女性に対して、一般化している事」が問題なのかと思ったが、そうではなくて

「男は女にやさしくすべき」ではなく、「PMSである人に、周りの人が」という問題なんじゃね?

 と思った。まぁ、俺がタイトルに引っ張られすぎてるのかもしれないのだが。

 当然の事ながら、同じ女性でも個人差があって、全然たいした事ない人もいれば、とんでもなくひどい人もいる。そして、PMSで苦しむのは女性である必要があるが、だからといって女性にハンデキャップがあるというのはあまりにも飛躍した直結である。(可能性があるという考慮はあってもよいだろうけど)

 当該entryは、月経による人格形成の話にまで論点を広げているので収束つきにくくなるから、その部分には言及しないが、少なくとも「男は女に」とか「女は男に」とか言う話じゃないなーと思ったッつー話。

 まぁ、俺が読みきれてないだけかも知れん感想だが。

 蛇足になるが、引用もとの著者は「議論」がしたいのに周りの反応が極論過ぎると嘆いているようだが、「スルー力」「議論力」「優しさ」などといった、一見全ての人に共通認識がありそうで実は結構ずれているような言葉を使いながら主張したところで、論点のずれがでてきやすいので、「意味を定義」するか「範囲を絞る」かした方がよいのではないかと思った。後、主張したい事柄とその前提も絞らないと、どんどん拡散するだけだろう。

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法務だけど理系女子の綴るblog: 「男は女にやさしくすべき」と考える不幸へのコメント -「病院に行け」の怖さと、スルー力より議論力の重要性と、「優しさ」意味-

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コメント

  1. michy より:

    議論について丁寧なアドバイスを頂きありがとうございます。今後とも精進します。時期遅れのコメントですがお許しください。

    基本的には「PMSである人に、周りの人が」でいいと思っています。私が「男は女を」と言っているのは、男性がその苦痛がまったくないため、どうしても理解しにくいことと、男性ホルモンの作用をみても一般的にいえば男性のほうが体力があり女性を思いやれる立場にあると思うことからです。また、ここでは情報の断絶かなにかで男性側にその情報が伝わっていない(そして情報を伝達しようとすることすら拒まれることもある)ということも含んでいると思っています。

    女性は女性同士でそういう会話もしやすいし、「生理」って機能があることが多いので、まだ理解しやすいと思っています。それでも女性でも生理が軽い&一般的な男性より体力があると理解しにくかったりするので難解な問題なのですが、そんなことまでいってしまうと一般化による理解(病名による個人の病状の理解と同じ)が困難になってしまうので、述べてませんし、それは次の段階かな、と思っています。

    他のカミングアウトしにくい病やADHDなどとも問題は同じだと思っています。「ADHDでない人はADHDである人に優しくすべき」と私は言ってみて、SuVeneさんが「ADHDの状態が表れるときに周りの人(ADHDの人含む)が優しくすればいいんじゃない」って言ってるようなものかと思っています。

    SuVeneさんのほうが

    なお蛇足ですが、
    >>feather_angelさん
    投薬は山のようにしておりますが私は日常生活に差し支えない程度にはならないし、副作用も結構あります。

  2. suVene より:

    > 他のカミングアウトしにくい病やADHDなどとも問題は同じだと思っています。「ADHDでない人はADHDである人に優しくすべき」と私は言ってみて、SuVeneさんが「ADHDの状態が表れるときに周りの人(ADHDの人含む)が優しくすればいいんじゃない」って言ってるようなものかと思っています。

    これは違います。ADHD である人と ADHD でない人 というのはどちらかです。しかし、「男性は女性を」というのは、女性の中でも生理の PMS の症状がある人とない人がいます。女性であれば全ての人が PMS であれば、同じ意味でしょう。(範囲と言う意味によって)
    もう一点は、PMS という症状が 精神的ケアを必要にするのかどうかが、いまいち理解していないのですが、「カミングアウトしにくい」という共通点により遺伝的・先天的な障害であり、精神的ケアが必要である問題とを同列に括るのは暴論です。

    「症状が表れるとき」と言うのも、誤解です。これは、PMS にしろ ADHD にしろ、長期的対策が必要と言う点において同じだと考えた場合、社会的精度も含めて考えなければならないと思います。その時々で対症療法すればよい、という意味ではありません。それが個人的に「周りが優しく」するという意味です。

    生理という機能によって、女性の賛同が得やすいのはわかりますが、それは活動内容を理解してもらうときの話であり、結果としては社会的精度に組み入れなければならない問題ならばやはり
    「男性は女性に」というのは語弊があるのではないでしょうか。

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