「それPla」に対する - suVeneのアレ

「それPla」に対する

煩悩是道場 – それpla
ululun さんからの応答に対して少し。

Plaggerとは何ぞやで述べた事は、要約すれば
「Plagger とは mixi や bloglines を転送したり、ピザや寿司を頼む事“だけ”の手段ではなく、
かつ、インストールすれば何でもできるというための手段でもない」
って事になる。

それに対する返信は至極真っ当だと思う。

個人的に言えばPlaggerは「インストールが何だか面倒い」みたいに感じるし、そんな面倒い事をしてまでピザを注文しようとも思わない。
煩悩是道場 – それpla

そりゃそうだ。

現在、ウェブに対しての何らかの目的(例えば情報収集など)を果たす為の、合理的手段として考えた場合、Plagger というのは明らかにイニシャルコストが高すぎるのは否めない。

ピザの話は、ブログ初心者に向かって「文字が流れたり点滅したりします」っていう事を書いているような感じだし、Gmailの話は携帯に1000件の電話番号が登録出来ます、みたいな感じ。少なくとも自分にはそんな感じに受け取れてしまう。

つまり、どちらも面白くて便利なのかもしれないんだけれど、自分の現在の行動様態には合致した使い方ではないし、苦労(?)してまでインストールを試みたりCPANとはなんぞやだとかPlaggerを新たに覚えてまで何かをやろう、というモチベーションに結びついてこない。少なくとも私はそう。
煩悩是道場 – それpla

これも当然だと思う。

技術者ではない人(又は興味がない人)を一般ユーザーと定義すると、Plagger はまだ一般ユーザーに対して展開できるようなレベルではない。
開発者がどのような意図を持っているのかは分からないけれども、少なくとも一般に広めようとするならば、Installer で自動的にクライアントにインストールされ、設定ファイル(YAML)を GUI から定義できるか、又は Webサービスとして、「○○の FEED を××に転送」みたいな画面を作り、背後で Plagger で処理したりする必要があるだろう。

一般ユーザーは、技術などに興味はないのだから GUI のような目に見えるような利便さが伴わないと利用しない。インターフェースが大事(特にGUI)であり、背景のロジックやフレームワークなどどうでもよいのだ。
Perl は言語としては強力だが、GUI や開発環境としてはまだまだ敷居が高いのは事実である。
その中で Plagger は Pluggable な設計で参加者を募りやすく、かつ勢いがあるという意味で期待が大きい。

ただ、一つ言っておきたい事がある。
確かに現時点では Plagger は少し敷居が高いし、目的を達成するためには面倒な手段であるかもしれないが、「手段に啓発されて、新しい目的や新しい利用法を発見する事」も多々あるのは忘れてはならない。

例えば、RSSリーダーなどにしても、少し前までは「WWWCの更新通知で十分」や「Hatena::Antena」と何が違うのかなどと、「更新を知りたい」という目的の為に新しい手段を導入する事の有意義さを説明するのは難しかった。しかし、blog や多くのサイトが RSSフィードを出力してくるに従い、ソーシャル的な使い方や、SBMと連動 などの新しいサービス形態を生み出した。
SBMサービスにしても、まだまだ利用者が多いとは言いがたいが、人数が増えるに従って今までのランキングサイトやニュースサイトの代わりになってきたりしてきている。

これからもこれらのサービスは発展していくのだろう。

技術というのは、技術者の遊び道具でもあったりするので、流行り廃りもあるけれども、それらがサービスと紐付く過程もまた面白い。
そしてそれらのサービスを予測もしない形で利用するユーザが現れたりするのも面白い。

故に、ここで自分が面白そうだと思う技術を紹介したりするのである。

前半部分に対してはこれで終わりだが、後半部分は少し立場が違った。

最適な Plugin がなければ、Blog かなんかに
「こんな感じのPluginをだれか作成してください!!」(だれPla)
って言っとけば、暇な人が作成してくれる可能性もあったり。

という事らしいのだけれど、真面目な話として書くならばPlaggerでなければ出来ない事を心がけると良いんじゃないだろうか。
で、もう一つ大切な視点として「暇だから作る」というのでは良いモノは作れないとDisっておきたい。
どうせ作るなら「それでメシを食う、金を稼ぐ」システム開発を目指すべきなんじゃないだろうか。
煩悩是道場 – それpla

真面目な返信として、Plagger でなければできない事ってのは今のところない。
「良いモノ」を何を基準にするのかにも変わるが、「暇だから作る」のならば「良いモノができない」という事は直接関連しない。「良いモノ」の基準を自分で利用する為や、ソースを解析して試行錯誤してくれる人に置くならば、暇で作ったものでも良いモノは沢山ある。ただ、「サービスとして万人」を基準にすると、確かに「良いモノ」を作る事は難しい。
しかし、「それでメシを食う、金を稼ぐ」事を目的とするのか、「自分が楽する事」を目的とするのかは、個人の自由であり、「「それでメシを食う、金を稼ぐ」システム開発を目指すべき」だとは言えないと思っている。「自分が楽をする為」に暇だから作ったがモノが便利なので、皆に利用してもらいたい。と思うこともあるから。

しかし、ululun さんはここを問題視しているのかもしれない。

金が全てじゃないよ、趣味でも良いものは作れるというのは確かにそうだし、拝金を礼賛しているわけではない。ただ、幾つかのオープンソース開発、特に日本でのオープンソースのありようを見ていると結局は「趣味ですから。時間のあるときに作っていますから」というエクスキューズがバグを放置させ、エンドユーザが「使えない、不親切だ」と感じ、オープンソースから遠のかせている要因となっているように見えてならない。
煩悩是道場 – それpla

確かに、「サービス」として提供するにはそれなりの責任が伴う。そして、自分が楽しむ為で、利用するならば利用してもよいよってのは責任が軽い。
まぁ、この辺の話は現在の土壌とビジネスモデルに深く関わり複雑な問題だから今は整理して話せないのでやめておく。

真面目に「メシの食えるオープンソース」を開発したい、と思っている人がいたら、私はこの身をなげうってでも、それを応援していきたい。
どういうやり方で応援するかを此処に書く事は出来ないのだけれども。
煩悩是道場 – それpla

個人的に応援するならば、「良いと思うモノ(価値があると感じるモノ)に対価を支払う事」を個人が意識していけば、応援になるんじゃないかなーとか。
対価とは、例えば金銭もだけれど、口コミ等の広告や、フィードバックなども含まれると思ってる。

取り留めのない話になったが、ここまで。

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